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滋賀漢方鍼医会 総会特別講演
「営業繁栄の秘訣・技術向上の秘訣」二木清文先生 (司会:小林久志)

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(小林)
 それでは、特別講演に入りたいと思います。演題は「営業繁栄の秘訣・技術向上の秘訣」です。先生は日々多忙な臨床の中で様々な体験をされておりますので、開業されている人も・そうでない人も「鍼」というものに対して、色々と参考になる貴重な話が聞けると思われます。私も非常に楽しみにしています。講演の後には質問時間を設けますので、よろしくお願いいたします。


(二木)
 演題を「営業繁栄の秘訣・技術向上の秘訣」とさせて頂いたのですが、実は「営業繁栄の秘訣」という題名がとても好きなのです。それは私が助手に入った時、一番最初に見つけたカセットテープが東洋はり医学会の第九回経絡大学技術講座研究部で行われたシンポジウム「営業繁栄の秘訣」だったからです。元々録音状態の悪いテープだったのでダビングをしたのですが、それでも足りなくて後から自分でも買って何度も聴いたテープです。この中で色々と教えて頂きました。おそらく録音部には残っているはずなので、興味のある方は、また聞いてください。


 それで話は雑談のように進めさせて頂きます。「よっしゃー、これを聞いて明日からの営業繁栄に結びつけるぞ」と気合いを入れず、雑談の延長として聞いてください。その方が色々な話が出るものです。

 まず最初にですが、いつものことながら結論が先に出せるものは結論を最初に述べてしまう話し方が得意なので、今回もそのようで行きます。「営業繁栄」でも「技術向上」どちらでもそうなのですが、結論としては『受け手本位になる』ことです。これ以外は何もありません。


 どういうことかといえば、先程総会の挨拶の中でも触れましたがわずか半年足らずの間に大学病院級の医療機関に事故報告を義務づけたところ、実に200件以上の報告がありその半分以上が手術中のものでピンセットやガーゼの置き忘れ・不良手術(人為的ミス)、または看護の失敗や投与する薬を間違えるなどで、死亡もしくは後遺症が残ったものが100件を下らない。過誤を含めてでしょうが、西洋医学はこの状況です。


 それでは、東洋医学では失敗というのか過誤は起こらないのかといえば、よほどうまい人でなければ特に我々の行っている鍼については治療家特有のものはあまりありません。せいぜい毫鍼を刺鍼する時に痛みを発生させる程度です。刺鍼した時の痛みがひどくて、死んでしまったという話は聞きませんからね(笑)。


 しかし、風邪を引かせてしまうことがあります。「なんだかこの前鍼をしてもらったら明くる日に風邪をひいてしまい体質に合わないのかと思っていたら、それが回復したら全体が良くなった」という患者さんがいれば、「そうそう風邪気味にはなったかも知れないけど、身体を治そうとするために一度歪みが大きくなっただけの話」としておけばいいのです。


 ところが、今の鍼灸業界の一番の問題は「やり手本位」だということなのです。考え方がそうなのです。というのが、うちの治療室に見学に来る学生、特に就職希望の学生に「毎日自分の身体に鍼を刺していますか?」と質問すると、様々な学校から見学には来ましたけど「週に何回かは」くらいなのです。ひどいのになると一ヶ月や二ヶ月は全く手にしたことがない。現代はディスポ(単回使用鍼)ですから、ディスポというのは簡単に刺鍼できてしまうので、入学当初に数回練習をして刺さるようになれば人の身体に刺鍼することばかりに夢中になってしまう。そして上級生になった時に自分の足などで練習をするかといえば、全くやらない。これが「やり手本位」のいい例です。


 鍼灸といっても道具としての鍼を患者に突き立てているだけの話で、頭の中で腰痛には腎兪・大腸兪・腰眼、橈骨神経麻痺には曲池・手三里・合谷でお灸はあそことこことなどと、頭で考えているだけで、教科書そのままだけです。これでは東洋医学とは言えませんよね。


 私は古木先生に学生時代教えて頂いたのですが、確か三年生の二学期だったと思います。今はどのように呼ばれているのか当時の臨床各論、つまりそれぞれの症例に対する学問なのですが確か麻痺だったと思います。それで一応のことは書かねばなりませんから症状はこんな風で、それを確かめるテスト法はこうで、特徴はこのようだまでは問題ないのです。実際に今でも腰椎ヘルニアといえば身体をエビのように曲げて側臥位で寝ているのが楽で、中腰で歩く方が楽で一側制に座骨神経上に痛みが出現し圧痛点はここと、一つ病名をいうだけで一度に情報が伝わりますからそれ自体はいいのですが、そこから先に臨床各論ではどのように書かれているかといえば鍼はこことここ・お灸はこことここ・按摩はこうと書かれているだけなのです。それだけを書いておけばちゃんと○がもらえるのです。×になっては困るのでそれは書いたのですが、その後に「何故そのような治療になるのか理解ができない」と付け加えたのです。橈骨神経麻痺にしましょうか、確かに曲池も三里も合谷も橈骨神経上にあり、ここを目標とするのは分かるのだが刺鍼深度や鍼数がどうして出てきたのかが分からない。もし患者が風邪をひいていたならどうなる?老人ならこのままでいいのか?頑強な人ならこれくらいやっても構わないだろうが、逆に足りないことはないのか?お灸については本当に透熱灸ができるのか、いやできるはずがない。第一このままをやったのでは、患者が疲れてしまう。だから東洋医学的には証を立てて、このような治療方針から自分の経験ではあるがこのように治療をすると、点字用紙三ページに渡り延々と書いたのです。


 結果ですが、前半の西洋医学の部分については○で返ってきましたが、全体は△になっていました。それで「あなたの気持ちはよく分かる、実際的にもその方が正しいでしょうが教科的にはこんな風に書いてはいけません」と、非常に優しい判断だったのでしょうがそのようなコメントで返ってきました。でも、実際にこのように考えながらやっている人が、どれくらいいるのだろうかと首をひねってしまいますよね。

 昨年まで滋賀に在籍されていたウ先生が愛知県に転出されたのですけど、この間来ていたメールには「愛知県はマッサージルームだらけだ」とありましたね。滋賀県では接骨院が多いので、「接骨院は保険が適応できるから私には見向きもしてくれない」と言われていましたが、愛知県に行ってみればマッサージだらけになっていた。マッサージには保険は利かないのですけど、ビルの一階やデパートの中などいたるところにあり一時間待ちが珍しくない。所変わればと言うが、愛知県に来てみてますます開業に自信が無くなってしまったと書かれていました。マッサージが良いか悪いかを議論しているのではありませんが、今患者さんが求めているものは何かを考えるとマッサージルームはかなりそれに応えているように思います、実際。そのような場所へ行く人は治療をしようとは考えず楽になりたいだけで、治療は治療だと考えているはずです。どこにフォーカスするかですよね。それで言えば、あちらは受けて本意のことをかなりやっています。綺麗なマッサージルームで治療着に着替えるとか、着替えなくともとても清潔です。かつての盲学校卒業生のように、自宅の一室を改良しただけで玄関は家族と共用なんてことはしていませんよね。これは受けて本位ですから、一時間待ちでもできる。
 だから私たちはどうすべきかというと、まずは患者さんが入りやすい所にするということ。それから、患者さんが受けたいと思っている技術を磨くこと。この二点に尽きます。患者さんは「鍼を刺して欲しい」なんて思っていませんよ。「鍼は受けたいのだけれど、鍼を刺されるのはいや」と、うちの新患さんなどは八割が喋っていますよ。「痛くない?」「本当に刺されるの?」「ブスッと刺されるの?」「覚悟はしてきたから、その代わり早く治してちょうだい」ですよ。うちは広告を出していないので紹介ばかりなのですが、それでもこうなんです。その人たちでさえ「鍼灸治療は受けたいけれど、鍼を刺されるのはいや」なんです。ここを押さえておいて欲しいと思います。


 毫鍼を刺鍼する技術、これは絶対に大切です。刺鍼をすることがいけないと言う意味ではありませんから、誤解しないでください。毫鍼を刺鍼できる技術がなければ、我々が今必死に取り組んでいるてい鍼を扱うことはできないと思います。私自身も毫鍼を刺す練習を、一ヶ月に一度くらいは未だにしています。でも、それは基礎的な技術であって患者さんが本当に求めているものではないだろう、ということを覚えておいてください。結論としては、受けて本位のことを考えていくということです。では、具体的な話に入っていきたいと思います。

 では営業繁栄の秘訣からですが、まず一番目には一般的事項になります。

 先程も触れましたが、施設・設備については衛生的で近代的なものが好まれます。やむを得ず一般家屋の一室で行うという場合でも、可能な限り玄関は別にして頂きたい。共用にしかできないのであれば家人の出入りは裏口に限り、玄関からは家の中が見えない構造にして頂きたい。これだけは絶対的な事項です。
 それからトイレですが、そこの事業主がしっかりした事業をやっているか、地に足の着いた事業をやっているかはトイレを見れば分かるとよく言われます。トイレが汚いところは、絶対的にダメです、どんな事業でも信頼されません。可能な限り水洗ですね。和式・洋式についてはそれぞれ事情があるでしょうが時代からすれば洋式で、手すりを付けるか広くて介護者も一緒に入れるなどの配慮も。洋式ではどうしても抵抗があるという場合でも便座シートというのがありますから、これを使えば大丈夫でしょう。そして掃除をするだけでなく、できる限り明るい場所にしてください、シャンデリアまでは不要ですけど(笑)。

 次に出入り口の段差をなくすことです。一般家屋を改造する場合はスロープがコンクリートですぐにできますし、敷居についても渡しをする簡単なものが売っています。車いすそのままで入ってこられるくらいのことをして頂きたい。ただし、車いすそのままを土足で上げていいかといえば、必ずしもそうではありません。御皿のところに腰掛けて靴を脱ぎたいという人がいますし、やはり日本の家屋ですからね。皆さんも経験があるでしょうけど病院で靴を脱いでベッドに上がり、降りた時にはまた靴を探すというのは結構苦痛な面もありますから、鍼灸の場合には必ずしも土足がいいとは限りません。

 うち(にき鍼灸院)へ来て頂いた方は分かると思うのですが、比較的近くに川があるので水に浸かっては困るということからかさ上げがしてあります。すると、玄関にはどうしても三段の階段が必要になります。設計側からはこの階段は大きく二段でもいいところを三段にしてあるという感覚なのですが、腰や膝の痛む方には一段一段が苦痛なのです。自分が痛くなったことのある人はおわかりでしょうが、階段は昇る時よりも降りる時の方が痛みますよね。上がる時は重力に抵抗していますからゆっくり上がれるのですけど、降りる時には重力には抵抗せず重力の力ですから制御できずに膝が痛みます。漢方でいえば昇る時は実痛で、降りる時が虚痛になります。そして虚痛の方が治しにくい。例えば腰痛がじんじんするような実痛を一年も継続するはずはなく、じくーっと痛む虚痛は一年でも二年でも持続しているものです。この虚痛はつらいものですが、それらを防ぐという配慮が足りなかったということで急遽ですがスロープを造りました。このスロープがあることで上がってこられたという患者さんが、沢山おられます。実は股関節の痛む患者さんから一番聞かれました。腰痛の場合にはなるべく歩数を減らしたいということがあったりして、階段の方がいいという意見がありましたし、膝の場合には上りはできるのだから冬の寒い時にはさっさと昇ってしまいたいということで、下りだけスロープを使っているという話も聞きました。一番助かったと聞いたのは股関節の患者さんで、カニ歩きで昇降されるのです。これは作り手というのか、やり手本位だったことによる失敗例でしたね。
 電動ベッドはあった方がいいです。それからカーテンだけでも良いですし個別の仕切でも良いですが、個室の環境も重要です。設備的には、これくらいかと思います。


 次に電話の応対。全体の応対の一つですが、特に電話です。予約を受け付けたり問い合わせに答えることが多いと思います。何度か喋ったことがあるので覚えておられる方もあるでしょうが、患者さんは病気であり、病気というのは陰気なのです。「この症状を何とかして欲しい」「肩こりがつらくて気分が悪い」から、お金を出してでも何とか楽になりたい。できればお金は出したくないのですよ誰でも。それでも楽になりたいのだからお金を出してくるので、言いたいことをいってくるのだし今は痛くてつらくてたまらないのだから陰気なのです。そこに、(とても暗い口調で)「あのーもしもし・・・予約今すぐ取れます?」「あーぁ、あっとれます」なんて、こんな会話では行こうと思っていたものも止めてしまいますよね。ですから、(暗い口調で)「もしもし、取れます?」ときたら、(とても明るい口調で)「はいお待ちください、この時間なら取れますから大丈夫です」と、こちらは陽気で応対をする。これでプラス・マイナスがゼロで、「あぁあそこに行けば治る」という印象を植え付けるのです。これが電話の基本です。

 この人に限ったことではなかったと思うのですが、最近は携帯電話ですから掛かってきた相手が分かる・もしくは電話番号が見えますから、「もしもし」という言葉がでなかったんですね、これは結構多いと思います。それで電話が掛かってきたのだから何かいわなければならないという気持ちは分かるのですが、咄嗟がでないので「あぁ」という言葉が出てしまうのです。これは違いますよね。ついでですから「もしもし」というのは、電話が始まった時に「申します申します、私は・・・です」ということで電話を掛けた側が使った言葉であり、短くなって「もしもし」になっているのです。ですから、受け手は「はい、誰々です」と答えるのが正しく、「もしもし誰々です」というのは電話の礼儀としてはいけないのです。我々はそれだけではダメなので、「おはようございますにき鍼灸院です」「こんにちは、にき鍼灸院です」というように出てもらいます。こういう応対の方がいいと思います。

 それで応対での禁句というのがありますよね。「毎度ありがとうございます」というのは、絶対にダメですね(笑)。治療なのですから「お大事に」ですね。アルバイトを入れた時には以前の癖があるので、マニュアルは一応渡すのですが「毎度ありがとうございます、いつもお世話になりますにき鍼灸院です」なんて出るものですから、慌てて止めに入らなければならなかったりします(笑)。うちの親とけんかしたことがあるんですよ(笑)。「受付でありがとうございました・いらっしゃいませと言わせているか?」「そんなん言わせるかい!」。受付の女の子がにこにこしているのはいいですけど、にこにこしながら「いらっしゃいませ」なんて言ったらいかにも病気を待っていたみたいですよね。もしもですよ、自分のことを考えてみれば分かるのですが、病院へ胃が痛くて朝から出かけたとして、順番を待って・検査を受けて・診断が出て・この薬を飲みなさいとなった時、注射でもしてもらって胃がすかっとすればいいのですが大抵はそうならず、まだ待って薬をもらって・会計をしてようやく帰ろうかと言う時に「またのご来院をお待ちしています」なんて立て看板でもあろうものなら、病院の建物に小便でも引っかけてやろうかと腹が思わず立ってしまいますよね(笑)。禁句という面で言えば、医療とはあらゆる職種の中でも特殊じゃないかと思います。だから「ありがとう」という言葉も言ってはいけません。ただし、これも教えてもらったのですが「お大事に」というのは「またこの病気を大事に持ってきてくださいね」という意味からのものらしいです。

 応対については明るく振る舞うと言うことですが、親切に丁寧に説明することも大切です。先日も本部での講演がありました「医療面接」が最近雑誌で取り上げられているのですけど、私個人からすれば何故こんなことを取り上げるのだろうと思います。当たり前のことですし今までやってきたことですから、何故こんなことを今さらという感じなのですが現実にはされてこなかったということで、これもやり手本位だったことの現れでしょう。あの記事を見てなるほどと思われた方は、本や関連記事をしっかり読まれることですし、本部の講演テープもしっかり聞いてください。それで関西という医療面接が非常にやりやすい土地なんです(笑)。初めての人でも「頼むわ兄ちゃん」みたいな感じで来られますからね(笑)。「これはどないやねん」とこちらからもやって、いきなり友達感覚ですよ(笑)。まぁ冗談はここまでで、例えば初診の患者さんを案内する時にベッドサイドで説明をするのですが、「後で詳しくは聞きますからとりあえず今日一番つらいのはどこ」と一緒に主訴も聞いてしまいます。これで患者さんはとても安心感を得ます。そのままわいわい喋ってしまう人の方が多いので、そのコンパクトにまとめたものを横で聞きながら「あぁこの患者さんはこんな風かな?」と分かりますし、患者さんも気分が楽になります。こんなちょっとしたことなのですけど、受けて本位の応対をするということです。

 一つだけ違うのは、情報の操作はしてはいけませんが整理はしてあげないといけないと思うのです。電話の話に戻りますが、「駐車場はありますか?」「はい、ありますよ」「それでどのように行ったらいいの?」のような時、これは自動車で来るのは分かるのですがいきなり「デパートの横と聞いたんですけど」「まるまる会館の近くですよね」と問われてきたら、「どちらの方向から・何で来られますか」と返答するよう指示しています。すると「長浜から自動車で行きます」「能登川から電車で行きます」となりますから、自動車の場合には電車の場合にはどう説明したらいいかが分かります。このように情報は操作はしてはいけませんが、整理をすればいいのです。自分が聞きやすいように整理をするのです。症状を無茶苦茶に羅列する患者さんに「分かったから今日は肩こりと腰痛と、どっちがつらいの?どちらも一度にやれないことはないけど、一度にやってしまうと疲れてしまうやないの」「それは分かったけど、どっちもつらい」「どっちかに決めなさい」、これくらい言っても大丈夫ですし言った方がいいと思います。小児科のお医者さんがそうらしいです。流行っているお医者さんは無茶苦茶に怖いか、無茶苦茶に優しいかのどちらからしいです。子供がどんな状態でも「大丈夫大丈夫」と優しく接してくれるか、「こんなのになったのは親の責任や」と怖いが「この次はこんなことをしたらあかん」と言われるので二度と同じ轍を踏まないと言うことで、小児科ではものすごく優しいか怖いかどちらからしいです。情報は整理して、入り込み安いようにしてあげると言うことです。

 予約に関してですが一つのテクニックであり、知っている人は知っているのですが、やはり固めるということがポイントです。朝や昼の一番はもちろん他の患者さんはいないのですが、九時に来院して十時頃まで治療を受けて帰ろうとお金を支払っても誰も来なかったら、これは不安ですよね。でも、例えば九時の次に九時半の予約はなくても十時にあったとすれば、十時にまでかぶるように治療をすればいいのです。そうすると「あぁわたくしのことを丁寧にしてくれたんだ」と思われるようになります。これを延長して考えると、九時が入っていて十一時の予約が良いと言われた時に例えば九時と十一時の予約が申し込まれた時には「十時はいかがですか」「十時半はダメですか」とすれば患者さんは連続することになり、「ここは沢山来ているんだ」と思われるし自分の体のためにもなります。予約は固めることなんです。これは情報を操作しているのではなく、整理をしているのです。自分が仕事をしやすいように・患者さんが安心するようにと、整理をしているのです。でも、早く帰らなければならないから九時半が一番良いのだけれど九時でもいけるが十時は難しいという人を、無理矢理十時にしてしまうのは情報の操作だと思いますから、これは操作をしてはいけません。けれど、可能な限り情報は整理してしまうのがいいと思います。

 次に説明です。これも今まで述べましたが「インフォームドコンセント」、つまり「十分な説明による同意の元による治療」と言われて久しいですね。ちゃんと説明しないまま「はいこの数値だから入院ね」という状況があまりに横行していたので、それはちょっと違うでしょうということです。しかし、日本ではインフォームドコンセントが誤解して伝わった面が多々ありまして、「これだけ説明して・こうだから・この治療法でいいですよね」という使い方をしたお医者さんがいた、あるいは「これだけ説明されたのだからと同意せざるを得なかった」という患者側が多かったということですね。十分な説明の上で「こうやりたいと思うのですが、よろしいですか?」と問わないとダメですね。「こうするで」は、あまりよくないと思います。まぁ関西の場合は、これも相手のキャラクターによるんですけどね。「おばちゃん、今日は肩しか治らんのやさかい腰は晩は疼かんのやさかいどうせじっとしているし、肩を先にやるでな・・・」なんてことを言ったりしていますけどね。まぁ部位はあまり言わないですかね。例えば自発痛だけを最初に止めたいとすると、肩が上がらないものをあげれるようにしてくれと言われても「この夜中の痛いものを止めへんかったらどうしても治せへんのや、昼間は加減できるんやさかいまずは夜の何もせえへんでも痛いのだけ治させて」と、この程度だったらいいと思います。
 このように説明を十分にすること。それからセカンド・オピニオンも言われて久しいですけど、やっと日本でもセカンド・オピニオンというものが正しく根付いたので医療機関に対して若干良くなってきたのではという印象があります。検査データを持って次の医者でも診察を受けて、その二人以上の医療者からの診断で決めるということですね。だからデータを出してくれ、データを出してくれないような医者は二度と行かない方がいいかと思います。


 鍼灸院においては相手が経絡治療をやっているならいくらでもカルテデータを提供するのですけど、やっていない方が遥かに多いので難しい面はありますが書いてくれといわれれば「こんな風だ」と私は書きますね。有り難いことに脉診を一度でも受けると、脉診をしている治療院はほとんどありませんから脉診以外を患者さんが受けたがらないので、うちからセカンド・オピニオンの書類を出したことはありません。

 次には真似のできない特徴を出すということで、「にき鍼灸院」の場合でいえばパンフレットです。大量のパンフレットが出してあります。自分の書きたいことをバンバン書いてありますから、それによって患者さんが自分の思想を完全に受け取ってしまっています。来院すれば大抵一枚や二枚のパンフレットは持って帰るのが普通ですし、何度も通っている患者さんになると「次はいつでるのかいつでるのか」と、やいやい言われてしまうくらいです。この資料によって、患者さん教育をしています。そういうことで真似のできないこと、だからといっていちいちマジックショーを見せるとかカラオケを歌わせるなどの必要はありませんけど、あなたの個性にあった真似のできないことが一つないと、これは大幅な営業繁栄の秘訣にはならないかもと思います。今思いついたもので言えばベッドのシーツが青色であるとか、患者さんごとに音楽を変えるとか、そういう細かな配慮でもいいかなぁとは思います。「一人必ず一時間占有」という宣伝で、実際は十五分重なるような予約にするとかも考えられます。

 営業繁栄の秘訣の最後は、やはり「治せば流行る」ということです。病気を治してしまえば、必ず次からも来院されます。うちでは「治せば流行る」をより印象づけるために、技術的な要素も含んでいますが終了を宣言してしまいます。「あなたはもうこれでいいですよ」と。それから、「あと一回で終わります」というのはいいます。これはもう症状が取れているのですから少し残るものを予想するだけなので簡単であり、「あと一回」と聞けば八割の患者さんは来院されます。そして脉診で読める範囲で「あと三回」「あと四回」と宣言してしまいます。そのようにして治っていることを印象づけています。有り難いことに、「あれからは何ともなかったのだけれど」ということで再来院してくれている患者さんが非常に多いです。リゾートがそうですよね。なんとか村ができましたと聞けばみんな行くのですが、そこが流行るかどうかはもう一度来てもらえるかどうかなんです。リピーターがいるかということです。ディズニーランドとUSJくらいですかね、あとの遊園地はよほど近くないと二回目は行かない。それだけリピーターを獲得するものがないのです。我々の治療はリピーターを獲得しなければならないので、真似のできないこと・治せば流行ることをしっかりやっておくことでしょう。


 それでは、もう一つ皆さんが聞きたいだろう「技術向上の秘訣」に、入っていきたいと思います。

 技術向上に一番は何かというと、それは取捨選択をするということです。言い換えれば思い切って選択し、診察を進めるということです。あれかなこれかなと迷わない。研修会では確かに色々な情報が入ってきて、あの人の意見もこの人の意見もどれもこれももっともに聞こえどれも一理あるのですが、一理が積もっていけば千理になってしまいたどり着けない。だから技術向上の秘訣は、取捨選択することなのです。この情報は今必要なのか・必要でないのかをズバズバ切っていくことなのです。


 ちょうど森本先生から「診察は陰陽・治療は五行」というのは誰がいいだしたものか、正確にはどういう意味かという問い合わせのメールが来ていました。私が覚えている範囲では、福島弘道先生が井上恵理先生から聞いたとのことで、井上先生があちこちで喋ったのが初めてというのは確かでしょう。ただし、本当に誰がいいだしたかについては不明です。意味としては診察の段階では陰陽で考える、つまり「これは陰」「これは陽」とさっさっさと仕分けして、今日は陰の病症だから陰を治す方法・陰の原因は何かというよう見方を、陽の病気だから陽の原因は何か・あるいは陽を引っ張っているものは何かという見方をしていく、ということで診察は陰陽とは二者択一でやっていくんだよ、そうでないと診察はできないんだよということを言っているのだと思います。治療は五行、これはもちろん五行穴・五要穴のこともそうですが十二経絡の五行配当を意識しておかないとできないんだよ、ということを言っているのだと思います。そのような話だと聞いていました。


 それで井上先生の質疑応答の中で発言されたものがあったのですけど、当時の脉診はまず中間を探ってから沈めて陰経・浮かせて陽経としていたのですが、例えば右寸口がとても沈んでいたなら肺経は診られるが大腸経は診ることができないのでどうすればいいのかという質問があって、それは一つのところだけで考えるからそのようになるのだという答えでした。五行の金の中でもどちらが強いのか・あるいは金と水を比べてなど、陰陽というのは診る角度によって鏡のように返してくる答えが違うのだから、どの情報も全て正しいのだからどこで陰陽を捉えるのか、陰陽といっても一点尺度で捉えるなということを、言われていました。診察に関しては私も陰陽が非常に大切であり、最初は陰陽の二つでしか見ていません。そして診断の段階に入ってくると「証」というものが出てきますから、ここはもう五行が必要だろうと思います。我々の今やっている診断というものは、イコール病理を考えているのですから、当然その先には治療法もあって五行が意識されていなければなりません。だから、治療は五行となります。我々の今やっていることに適切な言葉で置き換えるなら、「診察では陰陽を重視して、診断の段階からは五行を意識しなければならない、」と言われているのではないでしょうか。そのような考え方で、思い切りよく診察していくということです。


 初心者や二年目くらいまでの人でも、思い切りよくやればいいのです。研修会に来るとあれもこれもと見て回るわけですが、確かに私も最初はそうだったのですが参加をするようになってすぐ宮脇先生の治療室見学をさせて頂けたのですが、とてもじゃないけど速い。だから「今日見たいものはこれ」と一つか二つ決めてから出かけ、空いている時間に先生を捕まえて質問をしなければ毎日大阪まで通っている価値が出てこなかったのです。研修に来て十個のいいことを言われていても、十個全部を持って帰ることはできません。だから「今日はこれを持って帰る」と一個か二個を決めてしまいます。あるいは「これだけ分かるようになろう」と思い切って取捨選択することです。


 診察でも「あの人のいうことも一理ある・この人も一理ある」と全部聞くのではなく、「自分はこうだ」と思ったら実際に診断が出た時にそれが合っていれば自信を持てばいいわけで、間違っていたなら指導担当あるいは仲間から「何故間違っていたのか」を教えてもらえばいいのです。全部持って帰るのではなく、取捨選択するのです。逆に自分が今まで捨ててきてしまったものを拾うことができるかも知れません。研修では特に実技に関しては取捨選択をし、その上でダメだといわれたものに対して「何故ダメなのか」を考え次までにトライしてくる。一番やっていけないことは、「何故自分だけがこんな風に言われるのか」と考えてしまうことです。

 次に本当に秘訣ですが、治療中に不問診をされた方がいいです。これは脉診の修練にも確実につながります。私の大師匠、つまり師匠の師匠の話をここで何度もしましたが、ほとんど脉診だけで「あぁお前はこんな症状だな」とかすごい時には「三十年前に結核をやったな」などといわれたと聞いています。その先生がどうやって脉診を身につけたかというと、家庭に恵まれなかった先生だったので熊本盲学校を卒業してから四国の山奥でずっと勉強を続けられたのです。本に「脉診はこのようだ」と書いてあるのを、来るのは按摩の患者さんばかりなのに脉を見続け不問診をしていたのでしょう。あるいは症状を聞いてから、こういう脉があるのではと探していたのではなかったでしょうか。それで五年目にもなると自分で証を決め、「これは曲泉・陰谷を使うべきだ」と思ったら曲泉や陰谷ばかりを揉んでいたそうです。患者さんは当然ビックリするだけでなく抗議をしたでしょう。「肩こりが取れたらええんじゃろ」とそのままに「よっしゃ」と確認させると、本当に肩こりが取れていた。このようにして脉診力を付けられた先生だと聞いています。
 それで私も、助手時代にパッと脉診をして最初に問診した中に出てこなかった症状があるのではないかと思ったら、直感の世界といわれるかも知れませんけど患者さんに尋ねて脉診力を向上させることができたのです。助手に入った人たちとは、そういう意味でとても楽なのです。間違っていても「助手がやっていることだから」とされ、合っていれば「先生はいい教育をしている」とどちらでもいいように捉えてもらえるからです。いきなり院長や責任ある立場に付いてしまうと、一日に一度くらいはできるかも知れないけれどやたらにはできませんからね。自分が思ったことをそのまま尋ねてみる不問診をすると、これは脉診力向上へと絶対につながります。


 例えばですが、私が助手時代に非常に綺麗なお母さんと娘さんが来院されていたのですけどずっと調子が向上していたはずなのに、「今日はとても調子が悪い」と言われます。「おかしいなぁ」とおもいながらパパッと脉診をするとすごく脉が硬く、少しですが脉が跳ねています。いつもは数脉にならないお母さんの脉も、数脉になっています。「これ夜更かしされていませんか?」と聞いた途端、二人が大笑いをされるのです。「昨夜テレビを見ていたら途中で寝られなくなって二時半まで起きていた」というのです。それで寝不足で調子が悪く、関西弁で「一発引っかけてやろう」と来たものを、私が脉診で見抜いてしまったものですから「やっぱりここは信頼できるんやわぁ」ということになったのです。「硬いものは寝不足だ」と師匠からは教えられていたのですが、硬いものにも色々あります。それが不問診によって「これが寝不足の硬さだ」と分かってくるのです。だから、不問診はして頂きたい。

 次にですが、全体診察というものも重視して頂きたい。先程と全く逆のことを言うみたいですが、脉診のみには頼らないということです。先にこちらの話をした方がよかったのかも知れませんが、脉診で不問診が直感のようにできるようになったら脉診に集中すればと思うのですけど、これは絶対に間違いです。脉診ほど便利なものはありませんけど、脉診ほど落とし穴の大きなものもありません。
 先日もうちの助手に話をしていたのですが、腰の症状について私は脉診のみでパパッと診察を進めていきます。これは脉診のみで自信があるからです。でも、膝の場合には膝そのものをほぼ観察します。これは腰が先に悪くなってその影響が膝に来たものか、先に膝が悪くなっていて腰も悪くなってきたものか、複雑すぎて分からないからです。変形の具合も脉診だけでは分からないです。だから膝を触診するのです。腰でも時々は患部を触診することがあります。それで「一ヶ月間勤務していて、どうして触診する場合としない場合があるのか違いが分かっているか」と聞くと言葉を濁していましたが、これは自信があるかないかの違いです。自信がないものは、やはり患部を診察しなければならない。全体診察というものが、絶対に大事です。


 腹診でも、そうです。開業当初は腹診というものがとても苦手だったのです。当時のやり方では指導者の先生によっては悪い表現ですけどいくらでも屁理屈で丸め込まれますから、分からない。分からないからそのうちに触ることさえ嫌になってくるのですけど、やはり脉診だけでは間違えるという苦い体験をすると腹診は重要だと思ってまた触り出して、古い名称で言う腹診点方式が出てきたのです。だからまず全体診察があって、全体診察の一部が脉診なんだということを押さえておいてください。でも、脉診がうまくなるためには不問診です。不問診ができるようになると信頼感が上がり、イコール「治せば流行る」につながります。

 技術向上の秘訣でもう一つですが、自分がやってきたこと・体験してきたことを文章に残すことです。「下手だから」という人がいますけど、これは絶対に違います、文章として残してください。文章に残すことによって、自分の考えがよりしっかりしてきます。それが次に生きてきます。自分が忘れていたことを、読み返すことによって思い出すこともあります。日記がそうですね。私は自分の記憶力を上げるために日記を書いています。一ヶ月や三ヶ月前のものを時々パラパラと読み返すのですが、細かなことを忘れていたものが日記を読み返すことによって蘇り、その前後もつながって記憶がハッキリするのです。だから私の日記とは、単なる自分の記録をしておくだけのものでなく記憶力を向上させるために書いているのです。点字ですから重なってしまうので古いものはなかなか読めませんが、それでも今まで一冊も捨てることなく時々は引っ張り出して読み返すとその当時の記憶が蘇り、記憶力向上となるのです。自分の足跡を残すため・自分の記憶を向上させるため・技術向上のため、文章に残してください。

 さらにこれは秘訣の中でも究極ですが、「背水の陣」で臨むということです。別の言い方をすれば「修羅場をくぐる」です。困難と思われても「今子供がすごい発熱なんです」という往診に応じたりこの冬なんですけどプールのシャワーで人が倒れていまして、タンカの要請はされていたみたいですけどこれを治療したなどですね。自分で分かると思いますよ、修羅場に立ったら「気が立っていく」というのが陽炎のように、これをオーラと表現してもいいでしょう。これが自分自身を包むだけでなく、いよいよとなれば患者さんまでも包むようになってきます。怖い場面だからと逃げない。開業すれば逃げたくても逃げられない場面などいくらでもあるのですから、そのような場面にも敢えて飛び込んでいく。


 また「できる限りお金を残して余裕を持った状態で開業をしよう」なんて、無一文では開業できませんけど「当座の生活資金も持った状態で開業した」という人に成功の話を聞いたことはないですよね。雑誌を見ても「とにかく無茶苦茶で開業資金しかなかったのだけれど開業してしまって、という話ばかりです。「背水の陣」で臨むということ、これは覚えておいてください。

 かなり長くなりましたので、再び結論です。


 まず「東洋医学は動的医学」であるということ。これをよく意識しておいてください。西洋医学は腰椎ヘルニアや胃潰瘍など、病名の医学です。病名が決まってしまうと多少症状の変化は認めたとしても、病名に対する治療しかないのです。胃潰瘍が重くなろうが軽くなろうが胃潰瘍の薬を与えるだけで、胃潰瘍ができてから腰痛が発生しても「それは整形外科へ行ってください」なのです。でも東洋医学は違います。胃潰瘍ができたために腰痛が発生したり、その逆もあるなど関係性を重視しています。だから東洋医学は動的医学なのです。


 次に研修会で仕入れたものは、数日で古くなってしまいます。「今日はいい情報を聞いた」と思っても、情報を伝えてくれた先生はその研究を最低でも二週間くらい前には終えているものであり、あるいは一ヶ月や二ヶ月前にまとめたものかも知れません。まとめないと発表できないのですから、これは仕方ないことです。ということは、その先生はもう次へいってしまっているはずですから、わたくしもそうなのですけど発表をしても何も惜しくないのです。だからそれを聞いた人も二日や三日は新鮮であったとしても、同じことをしていたのでは三日すれば古くなる。三日間で消化していればいいのですが、未消化であったとしても古くなっているのですから「これを土台にどうやっていこうか」という姿勢が大切なのです。


 「常に自己革新を繰り返す信念と努力」。これは付け加えることがありませんね。

 最後に、まずは例え話になりますが神社に出かけてお願い事をしている人がいますよね。これは自己暗示をしているのです。「お金持ちになりますように」「この病気が治りますように」「恋人ができますように」とお願いをするのは、自己暗示をしているのです。「私は今恋人がいなくて寂しいんだ、私のことを分かってくれないあいつらが悪いんだ」と言っているのです。「お金が儲かりますように」とは、「私は貧乏だ・貧乏だ・貧乏だ」と自分で言っているのです。「病気が治りますように」とは、「病気は嫌だ・病気のやつが悪いんだ」と自分で自分に言い聞かせているのです。そうじゃないですよね。神社でも仏様でもなんでも、お礼を言いに行くところですよね。「今恋人がいないですけどこうやって神社に来て、何か出会えたら嬉しいです、ありがとうここに来させてもらって」「私貧乏ですけどこうやって生活させてもらっています、だから一生懸命に働いたらお金ができると嬉しい、でも貧乏でも生きていますよ」「私病気をしていますけど病気をすることによって色々なことが教えてもらえました、ありがとうございます、自分のやった行いが改まったらできれば病気も回復すると有り難いですけど」くらいで、お礼を言うところですよね。


 もっと分かりやすく言うなら、仏様の前でお香をたいているのは臭いを分からなくして、鈴を鳴らして周囲の音を聞こえなくして、お経を唱えて頭の中で何も考えられなくするのですよね。その証拠に、仏様に供えているお花はこっちを向いています。仏様に供えるのであれば、仏様の側に向けていなければならないでしょ。だから自分のためにやっているということが、お分かりになるでしょう。


 つまり、「自己実現のイメージを強く持つ」ということなのです。言い聞かせるのではなく、強く念じてあらゆる角度から自分を観察することです。「私はうまくなるはずだ・うまくなるはずだ」と念じるだけでは、先程のお願いと大差ないのでダメです。そこらのおばちゃんが「私は若い・私は若い・私は若い」と念じているだけと同じです(笑い)。そうではなく、念じるだけではなく「実現をさせるにはどうすればいいか」と自分をあらゆる角度から観察するのです。上から見てみたり・横から見てみたり・自分の中から見てみたり・家族の立場から見てみたり・男性は女性の立場から見てみたり・女性は男性の立場から見てみたりと、自分のことを観察していく。これが自己実現につながっていくのだと思います。

 本当の最後になりますけど、「この治療法は最も素晴らしい治療法だ」ということをまっしぐらに突き進んでいくことです。付け加えるなら、研修会は休まないですね。こんなところで「営業繁栄の秘訣・技術向上の秘訣」という題名を、まとめさせてもらいました。




(小林)それでは質問の時間に入ります。


(中野)私のところでは初診患者さんには問診票を書いてもらっているのですけど、先生のところでは初診の方が見えられた時には何かされているのでしょうか?


(二木)うちでは電子カルテを使用していますから、まず患者さんの個人情報だけを打ち込んだらすぐ診察室に入ってもらっています。


 それで自己診断表ですが、細かな項目までのものを使っておられるところは非常に効果があると思うのですが、中途半端というのか業者で売っている程度のものであるなら私は用いなくてもいいと思っています。それは疑似申告が多いからです。一度ビックリしたことがあるのですけど、お酒の欄がビール三本と書いてあったのです。「おいおい」と問いただしたら「いやぁ三本で済んだらいいのにという意味なんですけど」と(笑)。大抵そんな箇所は、そんなものでしょ。女性の生理に関しても大抵は書いてくれるのですけど、記録が残ることを気にして書かれないケースもあるのです。問診票というのか自己診断表を用いる場合、結構虚偽申告があることを覚えておいていただければと思います。


(中野)次に「お大事に」という言葉なんですが、一応「お大事に」とはいうのですけどお金を頂くものですから「ありがとうございました」と、つい口から出てしまいます。「お大事に」以外で、いい言葉があれば紹介して欲しいのですけど。


(二木)まず「ありがとうございました」は、この業種においては禁句だと思います。「お気を付けてお帰りください」くらいでしょうか。「またのお越しをお待ちしています」では、まずいですからね(笑)。
 もう一つ付け加えるとすれば、理髪店などでは「お疲れさまでした」という言葉を聞きますけど、待ち時間が非常に長かった場合には別としてマッサージであってももちろん鍼灸では楽になりに来られたのですから、治療の最後に「お疲れさまでした」もやめておいた方がいいと思います。


(中野)どうも、ありがとうございました。


(小林)では、司会者からも質問をさせて頂きます。
 患者さんが治療に来られて2,3回で治ると思っていたものが、なかなか回復しない。患者さんは不安になるし「あと何回ですか」と聞かれることもあり、こちらも予想外のことなので内心不安になるのですが、そのような時の応対はいかがでしょうか?


(二木)それは困りますよねぇ(笑)。大抵はよほど自信のあるもの以外は初診時に自分が考えているよりも一回・二回程度は多めに伝えておくのですけど、思いのほか長引いてしまった場合にはこれも情報の操作ではなく整理なのですけど、「何故長引いてしまったか」を探します。こちらの責任だけでなく患者さん側にもまず落ち度があるはずなので、「改善が思い通りに運ばなかったのはこういう理由ですから、もう少し回数を増やして頑張っていきましょう」と説明するでしょう。


(小林)そうですね、悩む場合があるのです。あまりにも症状が長引く場合には正直病院へ行かせてしまうケースもあるのですけど、参考になりました。


(当山)ちょっと本論からは質問の論点がずれているでしょうけど、最近風邪をひく患者さんが多いのです。自分の力で証決定して治療をし、脉もお腹も整って楽になったと帰宅されるのですが二週間後の予約に「風邪をひいたのでお休みします」という電話が掛かってくるのです。肝臓疾患の方が「数値が上がってしまったので一時様子を見たい」といわれたこともあります。「めんげん」だと患者さんには説明しているのですが、脉も整ったし自然治癒力を向上させる治療法なのにどうしてこのようなことが発生するのでしょうか?


(二木)当山先生の「この治療法で」という信念が、一番大切だと思います。私も未だに風邪を引かせてしまうことがありますし、メーリングリストに出てくるような誤治例もあります。これは「鍼灸大阪」の座談会でも話したことなのですが、鍼灸治療の限界だけでなく他の治療法でも同じことが言えるはずなのですけどどこまで治療できてどこが限界なのかということは、それは患者さんとの信頼関係だと思うのです。すごく鍼灸を信頼してくれている人は「風邪をひいたから来た」と言ってくれます。「風邪をひいたから休みます」というのは、まだその患者さんがそこまで信頼をしてくれていないからだと思います。だから、うちに来られている患者さんでも「鍼灸は肩こりと腰痛」とだけ思っている人はお腹が痛くなれば病院へ行かれますし、七転八倒するような腹痛であったとしても「とにかく鍼灸を受けてダメだといわれたなら病院へ行きます」という人はまず最初に来院されます。風邪をひいた・引かせてしまうことについては論点がずれているのでここでは取り上げませんが、患者さんとの信頼関係をいかに高めていくかですね。周囲の患者さんが信頼をしていれば「ここは信頼していればいいんだ」ということで、最初から信頼度が上がった状態になりますから、即ち営業繁栄にもつながるということです。


(川合)今の治療をした後に風邪をひくということについて聞きたいのですけど、どのように考えればいいのでしょうか?


(二木)まず一番よくやってしまうのが、誤治をしてしまいその反応で陽気が吹き飛んでしまいます。もう一つは、気を漏らしています。ですから、陽気の守りが弱くなっているということです。毫鍼を用いているなら気を漏らしてしまうことは考えられるでしょうが、てい鍼でも気は漏れます。


 しかし、真冬は別ですよ。特に子供であれば、半日で風邪を引いてきますからね。治療後直ちに帰宅されたのに風邪をひいたのでは、あるいは明くる日に引いたのでは治療に何らかの不具合があった可能性が高いです。三日も四日も経っているのであれば、これは途中で何をされていたのか分からないですしね。


(小林)もう一回質問です。営業繁栄のことなのですが、ちょっと知り合いを中心に調べたことがあるのですけど「鍼灸治療のイメージ」ですね。鍼灸はこれだけの情報社会ですから誰でも知っているのですけど、それでは「鍼灸治療へ行こうか」となったときに痛い・怖いというイメージがあって勇気がいると聞きます。それからもう一つ怖いことがあって、それは料金ですね。治療院によって料金にばらつきがありますけど、明確に表示していないところも多いようで「一体いくら掛かるのか怖くて踏み出せない」ということがあるらしいです。
 そこで、料金についての考えがあればお願いします。


(二木)まず「怖い」という面に関しては、どこへ行っても怖いでしょう。私も病院へ行くのは怖いです、どんな病名をいわれてしまうのかが。そういう意味で言えばこれだけの情報社会ですから、以前に比べれば鍼灸治療へ行くことの怖さは緩和されてきているように思います。むしろ医療過誤が報道されていますから、病院へ行くことの方が怖がられています。


 料金設定についてですが、これは受け手本位だと思います。自分の財布の中身を考えるよりも、まず生活できればいいじゃないかと思うのです。強制的な意見ではありませんよ。例えば、うちでは一回2500円なのですが四回来院されても10000円なのです。一回の2500円は高くても四回の10000円は安いと感じるでしょう。これが夫婦で通院されるならどうでしょう?一回で5000円になりますから、10000円では二回しか通院できない、親二人を連れてきたなら一回で7500円になります。だから料金設定については、受け手がどれだけリーズナブルか、繰り返し通院できるのかがポイントだと思われます。あとはその地域文化などに合わせて設定すればいいと思います。


(小林)はい、僕も最初の料金設定をする際に一回でも多く来ていただければ治る確率が上がるのではないかということで、できる限り安く設定しました。一回か二回で必ず治せるのであれば多少料金が高くても患者さんは来ていただけるのでしょうけど、技術的なことも考慮すると少しでも安い方がと思ったのです。


(増田)聴講生の増田といいます。患者さんから「治りますか?」とダイレクトに聞かれた場合なのですが、実際にやってみないと分からないのです。それで軽減はするだろうけど治りそうにもない患者さんの場合、どのように告げていいのかが分かりません。これはレベルが上がってもまた同じことが発生してくるのでしょうから、アドバイスがあればお願いいたします。


(二木)まず患者さんの前で「私はまだ未熟ですから」という言葉は、絶対に使っていけません。それから研修会でも「自分はまだ未熟だから」という言葉をよく聞きますけど、これもいけません、発展途上です(笑)。それでとてもじゃないけど治りそうにない患者さんですが、電話で聞かれた場合には「診てみなければ分かりません」といいますし治療経験があれば「そういう患者さんも来ておられます」と答えます。「とてもじゃないけど治らない」と言われましたが、これは先程出てきたように信頼関係の問題だと思うのです。信頼関係があれば癌の末期であったとしても、実際に大腸の痙攣を起こした時以外には一度もモルヒネを使うことなく亡くなられた患者さんがおられますし、あるいは患者さんが信頼されていなければ少しの痛みでも来院されなくなるでしょう。「とてもじゃないけど治せない」という線引き自体が、ちょっと違うんじゃないかなぁと私は思うのですけどね。


(小林)それでは時間でもありますから、今日の話を参考に営業繁栄に生かしていただければと思います。


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