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第四回漢方基礎講座
 「病理考察・証決定」二木 清文先生

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 第四回ということになります。朝から喋っているように会の重役を担って頂いている先生にアクシデントが続いているということで、こんな時だからこそ話しておきたい話題から入ります。


 「技術を本格的に学ぼうとすれば、同時にその伝承の義務を負っていることを自覚して欲しい」のです。要するに私は伝統を受け継ぐ者であるという自覚を持って欲しいと思います。例えば分かりやすくは昨日まで高校野球があったのですけど、なんと半世紀ぶりの夏の大会連覇を北海道勢が成し遂げてしまうという素晴らしい大会だったのですが、高校野球の場合には特に甲子園へ出てくるような学校は「甲子園に出たい」という球児ばかりが集まってくるのですけど中学校の体験入部という形では、ブラスバンドへ行ってみようか野球部だ卓球部だバスケットだ美術だとか自分に合ったものを探します。その段階はまだいいと思います。この研修会に来られた時でも、まだ聴講という段階であれば分からないのでどういうものなのかまず見て、それによって納得をして「それじゃバスケットをやろう」「ブラスバンドをやろう」「野球をやろう」と決めて入部をしますしこの研修会でも他の鍼灸の研究会でもそうですし、お花でもお茶でも何でもそうだと思います。仕事で家業があった、うちなら鉄工所ですしお菓子屋もあれば美容室の家もあるでしょうし私の子供であるなら鍼灸院でありしかも夫婦で鍼灸師ですから、どうするかはその子供の自由ですけど一度入門をしようと決めたなら、その段階から同時に「この技術を次に伝えるんだ」という感覚を持って欲しいのです。持って欲しいのではなく、持つべきなのです。


 この研修会で学んで頂いている方は今私の話を聞いてもらっているのですけど、開業はとてもわかりやすい平成元年ですから十七年目に入りました。その前約二年間助手に行っていて、その前の三年間鍼灸の専門課程にいた訳なのですけど二年目から「東洋医学概論」を教えてもらっていましたが「それじゃこれをやろう」となったのは三年生の時です。だから、それらを加えると二十年。いつの間にか、おっさんですねぇ(笑)まぁ一人子供が出来たからええやろ(笑)。そのようなのですけど自分のことを振り返ってみると、「これにどっぷり浸かろう」と思った限りは次の人をどうやって導いてこようかと考えたはずなのです。これは簡単なことです。「僕こんなに素晴らしい勉強会に出会ったのだから、友達を引っ張ってきてやろう」と思うでしょ。「こんないい勉強会、誰にも教えんとこ」とは思わないでしょ(笑)。大上段に構えなくてもその気持ちが、まず伝承だと思っていただければいいのです。どうやってこれを広めていこうか、友達を引っ張って来るにはまず一生懸命に勉強して友達を説得しなければならないし、ある程度の回数を来たなら自分たちで勉強会を開いてみようとかすれば新しい人を連れてくることにもなります。これがある程度仕事が出来るようになってきたなら、「教えることこそ最大の教わること」であると第一回にも喋ったようにそういう形こそが自分の真の勉強になっていくのです。
 
 それで自分がやってきたことをまるまるやっても、前の先生から教えてもらったことが届いていません。これをいかに自分が苦労したから次の人が苦労しないようにと考えながら教えてあげようとするはずです、やっぱり。こんな事を考えながら行動していけば、あとは会務が誰々任せということもなく「あの先生が一人で苦労しているからちょっと助けようか」と何か助けて欲しいといわれたなら自分の出来る範囲でいいと思いますよ。私だって家庭を全て犠牲にはしていませんし自分の仕事がまず大切です。極端な話をすればここに来てこのように喋っていますけど話のネタを一ヶ月間練ってくる間に助手に色々と話をすることが出来たり、患者さんに「こんな話がありますよ」とか治療室が栄えるネタになればいいわけです。極端な話はですよ。でも、そこで止めるのではなくそのネタをまた次に持ってきて治療室へ返してと循環していけばいい訳なのです。本当にうまく・上達するような人は「伝承する」という考え方を持っているはずです。


 もう一度繰り返しますけど自分が技術を学ぼう、この研修会でいえば経絡治療を他と比較しながらとか併用をある人は考えるかも知れませんけど、研修会に参加している限りは基本的には他情報ということでの紹介はいいですけど技術交換などは持ち出さないのが原則です。その上でいかに広めていこうか、どのように分担していこうか、それによって自分が得るものは何かと、そのように入っていただければと思っています。


 本論に入る前にもう少し付け加えておきますと、本当に上達している人というのはどのような人なのかと夏期研の合宿の時に、他の先生のことを見させて頂いたのです。多分私も見られているのでしょう。あのように講師の先生ばかりの中でも、さらに上を目指しているとか考えが柔軟だとか以前に勉強したことを既に自分のものにしているとか、気が付いたことはうまい人とは「創意工夫」というところから入っておられるのです。常に疑問を持って「それじゃこれをうまくやるにはどうしたらいいか」という考え方ですね。何か不都合があったから、そこから考え始めるのではないのです。端的に言えば常に「もっと楽になるにはどうしたらいいか」ということを、考えておられるのだと思いますね。おしりに火がついてから走るのではなく、ニンジンを目の前にぶら下げて走れということです。


 先にちょっとこちらの話をしますけど、守破理という言葉を聞かれたことがあると思います。守とは守ること、破とは破ること、理とは理論のことです。確か剣術からこの守破理という言葉は出てきていたと思うのですけど、武術を強くなろうという時に守とは「基本を守る」ということです。剣道で言えば竹刀の持ち方・礼儀作法・基本的な振り方、この鍼灸で言えば鍼の持ち方・渡し方。うちの助手に入った人はまず何をさせられるかというと、鍼の渡し方なのです。毫鍼ばかりを使っている治療室では「へぇ鍼を渡すの?」とディスポ(単回使用鍼)の人たちはちょっとビックリされるでしょうけど、でも福島賢治先生も最初に塾へ行った時には何をさせられるかというと鍼の渡し方だったといわれています。よく話されていますよね、色は紫だったと記憶しているのですが風呂敷に桜の木で作った針箱を作って包み、往診に行った時にやわらそれを広げて患者さんに威厳を持つのだと。その時に、鍼の持ち方もしなやかであるようにと。どこかの弟子が塾長の針箱をまたいでしまい「無礼者」と怒鳴られた。それくらいに「武士の魂」なのです。だから鍼の渡し方というのは、その渡すことによってどのように相手へ気持ちを伝えたらいいのか・どのように仕事を流していけばいいのかを分かってもらうために、私も助手へ行った時には毫鍼を渡していました。その時代は毫鍼ですから、てい鍼では鍼先が目的の方向と逆を向いていてもそれほどの問題ではありませんけど、毫鍼の場合には師匠の手のひらにプチュッと刺してしまったら困りますよね(笑)。痛いどころの話ではないですよ、殴られるような師匠ではありませんでしたけどかなり緊張していました。それに置鍼をたくさんするところでしたから渡す本数というのも助手が予診を先にしているので大体患者さんの状態から判断しておかなければならないですし、患者さんによっては二番鍼を置鍼することもあれば五番鍼を置鍼していたこともありますし、どちらを置鍼するのか聞かれなくても渡さなければならなかったのです。そのようなことで、鍼を渡すことから始まります。あとは基本的な立ち方・脉診の仕方・腹診の仕方から、基本刺鍼では衛気・営気の手法はどうするのか、補助療法はどうするのかということで、まず「守」の段階があります。


 この守ということが出来ていけば、次は破です。この「破」というのは、師匠を超えていく段階だと単純には思っていただければいいと思います。破るということは「守」を破るのではなくて、基本はしっかり持ったままなのです。それぞれに体型が違いますよね、この研修会の先生一人一人と違いますし男女での違いがあります。地域的な差だとか・汗かきだとか汗をかかないとか・暑がりだ寒がりだそのようなことがありますし、また喋りとか考え方とか色々な条件がありますから自分に最適の技術へと脱皮していくことなのです。これが「破」の段階です。


 さらに自分の技術へと脱皮したなら、これをより構築して強固なものへと育て、次の人たちへ伝承していく(先程の項目に戻ってきましたね)。これが理、理論付けの段階です。


 守破理というのが武術でも技術でも守っていく段階なのですけど、守破理それぞれの段階でも創意工夫をされているかどうかが、もっと上達することではないかなぁと思います。やはり守の段階でも言われたことが「何故自分ですぐに飲み込めないのか」「もっと効率よく飲み込むにはどうしたらいいのか」、破の段階、理の段階、特に理の段階になると、それまでの段階であれば誰かのおしりを追いかけていればいいのであり目標があり道も付いていますから非常に分かりやすく走って行きやすかったのが、パイオニアですから先頭はもう誰もいないので自分一人で走っていくことになれば泥道かも知れないし草が生えているかも知れないし、決してアスファルトの舗装された道ばかりではないでしょう。三歩進んで二歩下がる事もよくあるでしょうし、迷いに迷って前へ進んでいるのか訳の分からない時期も来ると思います。そういう時こそ、創意工夫です。「自分がさらに楽になるように」「上へ伸びるように」と考えていくことです。


 それでは話を進めます。「基礎講座」と名乗っているのに、自分でもデータを読み返していると横道の方が半分以上だという恐ろしい構造になっているのですけど、この創意工夫について強く思っていることがあり一度どこかで話したかった話題があります。今は投資をするということがよく言われていますよね。ベンチャー企業を助けるということなのですけど、ベンチャーキャピタルの人たちが何を一番にいわれるかというと「まずどこに投資すればいいか」ではなく「どこは投資してはいけないのか」を見極めるというのです。その見極めの一番簡単なというか端的な方法とは、話を聞いてて「いやぁ私はこういう素晴らしい仕事をしているのですよ」とか「今までこういうすごい仕事が出来てきた」「立派な仕事が出来てきた」「こんな実績が上げられてきていますから私は伸びます」、このような話をするベンチャー企業には絶対に投資しないそうです。何故かといえば成長がもう止まっているから・満足しているからです。全然満足をしていない「これはたまたまの実績であって本来の私の力はもっと別のものではないかと思っています」とか、「これは偶然のことでラッキーだと思っています」このようなところには投資する価値大ありなのですけど、「今までの実績があるから投資してくれ」というところは投資しないらしいのです。


 ですから、鍼灸師の先生でも「俺はこんなことが出来た・あんなことが出来た・こういう治療が出来た・あぁいう治療が出来た・この病気なら俺は治せる」などと話している先生は、その実績の話は聞いてもいいかも知れませんけど技術をある程度学ばせて頂いたなら感謝をして、後はもっと伸びる方法を探した方がいいのではないかと思います。まぁ二木もしらふの間は極力喋らないようにしていますけど、どこかで認知症が入ってきて「わしの仕事はよかったやろ」とか酔った時に「これだけ人数があるしうちの治療室は満足してるんや」と喋り始めたら離れて頂いて結構です、はい(笑)。


 余談の方が長くなりましたので、本論の方へ入っていきたいと思います。前回の続きで、病理考察からになります。


病理考察 
 病症の経絡的振り分けの段階を経て腹診や脉診で裏付けを取り、既に証決定は完了しているはずです。ここでは脉診と想像していたものが一致しているのか、あるいは腹診と脉診は一致したのかを検証しながら「何故」の部分がうまく当てはまっているのかの検討をします。


最終決定と確認

 以上を踏まえて証を最終的に決断します。これには「どの経絡を用いるのか = 選経」、「どの経穴を使用するのか = 選穴」、「手技はどのようにするのか」まで計算されていなければなりません。また標治法についても概略を計算しておく必要があります。
 そして、実技編に出てくるいくつかの確認方法によって本当に正しいのか・誤治ではないのかを確認して、治療に入ることになります。


 いよいよ漢方鍼医会が行っている病理考察というところです。これもまた、別の角度から話していきたいと思います。この講座、先程も話しましたけど別の角度からの話ばかり入ってきているので「なんちゅう講義や」というところなのですけどね(笑)。


 経絡というものをもう一度考えてみようかなぁというのですが、今年は新入会員の方が多いですし聴講の方も増えて頂いたのですけど出身校以外の鍼灸学校でも経絡というものを軽視されている傾向が強い。鍼灸の雑誌を見てもそうです。例えば五臓の生理について、最近は中医学の関連からよく出てきています。経穴は治療点として便利だから名前がある程度出てきているのです。しかし、経絡現象というものをどのように考えているのかなぁと思うとかなり軽視されています。中医学で経絡のことをどこまで言われているのか、五臓の働きはかなり言われているのですけど。


 経絡現象が発見されて、それで鍼灸という道具が発明されたはずなのです。本当に一番最初は毒蛇に噛まれた・毒虫に刺されたとか、どこかで打撲をしてきたのでその箇所が怒張している、・黒くなって痛む・苦しい、だからその箇所に「これを何とかしてあげられればいいのではないか」ということで午後には刺絡の実技がありますけど、放血という形でそこにあるものを取ってやればどうなるかというものがあったと一番最初には思われます。「吸角療法」という語源は、放血だけではダメな時に原始的には口で吸い出して、それでうまく行ったことがあるのでしょう。ところが毒があったために、不幸にして毒を吸い出してやろうとした人の方が毒を飲み込んで、死んでしまったことがあったので、これを防ぐために動物の角を持ってきて空洞にして吸ってやるようになった。このようにすると治療をしてやろうとする人が毒を飲み込んで死んでしまうこともないので、吸角療法という名前が出てきているのだと思われます。


 そのように原始的なところから始まったのですけど、その時に経絡がどのように響いているか・それを延長していって局所ではなく例えば肩を揉んでやったら手が楽になったとか逆に手足を揉んでやると背中の凝りや痛みが取れたとか、そのようなことから経絡という現象があるのだと古代の人は見つけたのでしょう。それを(経絡現象を)「より効果的にするにはどうしたらいいのか」ということで一つは先程の吸角療法なのですけど、虫に刺された蛇に噛まれたということはないが何とか経絡現象を効果的に使いたいと思うのは当たり前でそこで出てきたのが「鍼灸」という道具なのです。鍼灸という道具があってたまたまプチュプチュ刺していたりお灸を据えていたら発見されたのが経絡ではないはずです。


 こんな事は、誰が考えても分かることなのです。経絡・経穴を無視するものは、これはもう鍼灸術ではないだろうと思うのです。先に経絡があってそれに似合う道具が鍼灸なのですから、経絡を使った鍼灸でないと絶対に真の力は出ないはずです。


 これも以前にお話ししたことがあるとは思うのですけど、経絡というものを学び始めると外経と内経というものがあるのですけど「何故内経というものがあるのか?」と三回くらい学校の先生に聞いた覚えがあります。経絡図を見ると線が書いてありますし、内経はぐるぐる回っていますししかもまだ陰陽関係とかは分かりませんから、肺経から始まって「大腸を纏い肺経に属介し」と書いてありますけど」なんで大腸が関係あるねん」と、他の箇所でも一緒です。今となっては簡単なことで、大腸経と肺経は表裏関係であるし肺経の次に大腸経が来るのですから補完的な役割として陰陽の気を交流させているのですから大腸経も肺経の方に影響を及ばせているので内経が巡っているなどは極々当たり前の話なのですけど、それが分からない。だから「外経だけでいいじゃないのか・内経がどうしてあるのか?」と聞いたのですけど「内経が重要ですから・後で重要になってきますから」の一点張りだったので、訳が分からないままに三年生まで進んでしまいました。これも「経絡現象があって鍼灸が発明されたのだよ」という説明から入ってもらえれば、内経というものが経絡現象ではより重要であり、「そこへ作用させるものが外経でそれを運用するものが鍼灸なのです」という説明であれば分かったと思うのです。


 この経絡というものは、生理と病理を交互に考えてきたものではないかと思うのです。先程の話と重複しますが、体がおかしい・おかしいから経絡現象というものが分かって・その治療法がたまたま発見され、・たまたま発見されたものを元に今度は悪くならないように・ちょっとおかしい時に「どうやって早く治せばいいのか」を考えていくと、正常な状態はこうだっただから病的なことはこうなるんだ・病的なことがこうだから生理的にはこう働いているのではないかと生理と病理は交互に考えられて経絡理論は組み立てられていったはずなのです。タイムマシンに乗ってみにいった訳ではありませんけど(この間はドラえもんの主題歌の中国語バージョンを送ってきた人もありましたけど)、歴史的に考えてみればそのはずなのです。だから病理のない鍼灸術では、これは片手落ちでしょう。確かに刺激治療も効くのです。「ここが痛いから」というところに刺鍼したり特効穴や名穴といわれる箇所を使えば効くのです。


 それから私が最初に研修会へ入れてもらった時には「脉の凸凹を調整すればいいのだ、」と、経絡を診るのは脉診だし、その箇所が虚だと思えば経絡を触って「脉が出てきた、それじゃそこへ施術しなさい」とこれらの方法でも経絡を動かす積極的な手段でありますし難病といわれるものでも私でさえいくつも治癒に導けたのです。だから非常に素晴らしいことを教えて頂いたのですけど、さらに伸びるためには先程の講演の話ではありませんけど、「七十五難型という概念はないけれどもやっているうちに一緒のものになった」と人間の身体なのですから当たり前の話なのですけど、行き着くところは一緒になると私も思います。上手な人がやれば最終的に行き着くところは一緒なのですし、その韓医師のやられている治療法は七十五難型でしょうから、病理ということを考えずに経絡を運用しているのは片手落ちだろうということです。


 池田先生が「どこで・何が・何故・どうなった」と言われていますけど、まず「どうなった」は物理的なことが多いですけど肩こりや腰痛など患者の訴える主訴・愁訴の部分になります。「どこで」は病症の振り分けから五臓のどこで、「何が」というのは問診の中から出てきますし体表観察をしていると特に腹診の中から気血津液のどれがということになり、「何故」というのが一番問題になります。例えば津液が溜まっているのだけれど何故これが溜まっているのか・気が停滞しているこれは何故停滞しているのかという「何故」のところが一番問題なのです。これがうまく組み立てが出来る時と出来ない時があるのですけど、経験年数を重ねることにはなるのですが「何故」のところを望聞問切によって矛盾のないように組み立てていって「脾虚陽虚証だ」「腎虚陰虚証だ」あるいは「七十五難型の肺虚肝実証だ」と証を決定するのです。


 証決定をするということはイコール選経、だから例えば脾虚肝実証であれば脾経からまず手を付けていく・腎虚陽虚証であるなら腎経から鍼を入れていく・肺虚肝実証であれば肺虚は病理の名前で呼んでいますから腎経から営気の手法を用いていくことが、まず分かるのです。選穴ですが例えば逆気があるとかのぼせがあるから水穴がいいとか、いや節々が痛むから土穴がいいとか寒熱往来が激しいから金穴をと基本的には選穴も頭の中で考えておかなければなりません。これが出来ることが証決定だと思います。


 これを頭の中だけで考えたのでは、やはり計算ミスというのか診察ミスというのかそのようなことが出てきますので、これを防ぐ方法のまず一番は「三点セット」です。肩上部の緩み・腹部の緩み・脉の浮沈遅数が整って胃の気の充実した触って気持ちのいい脉になるか、この三つが揃うかどうかを確認することがまず基本です。それを確認して本当に間違いのないものか、さらに選穴で経金穴だろうと思っても兪土穴や合水血も触って経金穴が一番いいことを確認するのです。もしも兪土穴の方がよかった場合には、「何故だろう」ということをもう一度よく考えてそれから治療へと掛かっていくのです。他に誤治を防ぐ方法として切経によって変な反応が出ないだろうかとか、あるいは敏感な患者さんには実際に触って「これは気持ちいいですか」と聞くなどもあると思います。


 先程の創意工夫の話に少し戻るのですけど、体表観察の段階でよく診ておいて頂きたいのがそう理の状態です。毛穴の開き具合ですね。これは開業してから気が付いたことなのですけど、本治法をしてしばらく時間をおいてからよく寝ておられる患者さんを触ると特に背中を触ると水に濡れたわけでもないのに水に濡れているくらいの湿気を感じるのです。本当に水に濡れているかといえば全然濡れていないし、汗もかいていない。「あぁこれがそう理の一番いい状態なのだなぁ」と思ったのです。それからこのような状態の患者さんに触れると「あんたよく寝てなかった?」と聞くと、「うーん寝てた熟睡した」と言われるのでそこから次はどのような睡眠状態であったかなどが分かるようになってくるのです。触り方の工夫もして頂きたいと思います。これでいよいよ証決定をして、治療へと進むことになります。


 それから標治法については、前回に四大病型を説明しました。簡単に標治法のパターンを説明しておきますと、陽実証は発熱ですから手早くパッパッパッと鍼数も少なく手早くして、標治法とは概ね背部の膀胱経のことを指して表現していることが多いので上から下へと流注に従ってどちらかというと営気の手法が主になるかと思いますけど、衛気の場合もあるかも知れません。


 陰虚証の場合にはこれをもう少し丁寧にして、しかも虚熱で受動的に熱の上がってきている「のぼせ」の状態が多いと思われますからこれを下へ引き下げてやる必要がありますから、もう少し鍼数は多くしてもいいかなぁという感じで上から下へ熱を引き下げてやることを重点とします。


 陽虚証の場合は四大病型の中で唯一冷えになりますから、この場合は熱を上へ上げてやらなければならないのです。熱というのは火を燃やしていることを想像すれば分かるように上へ上へと昇る性質があるのですけど、それが昇ってこられないのですから下から上へと引き上げてやるのです。全く熱がなくなっていたのでは死亡してしまいますからとりあえず流注に沿って上から下へと気は流れているのですけど順調には流れていないので、まず「ここへ上がってくるんだよ」というように印を付ける意味で、加えて膀胱経が流れにくいという意味もあるので頸肩部に一・二本鍼をしてから先に下腿の治療、これは足の三焦経とも解釈できますし「遠道刺」という解釈も出来ますがまず下腿に施術を済ませてから、それから背部には熱の発生できる状況が整ったので施術を行っていくことになります。若干流注に逆らっているような感じなのですけど、これは「下腿の治療をしている」ので遠道刺もしくは足の三焦経の治療ということで膀胱経の流注とは考えないで頂きたいです。背部では膀胱経の流注に従って上から下へということで、熱を発生させなければなりませんから今足りない状態ですからあまり沢山になるとドーゼ過多になること・せっかく発生した熱ですから自分で温めてもらうということでやはり鍼数は少な目にします。


 それから陰実証の場合には、それぞれの病型に酷似して変幻自在に現れてきますから陽実証と類似している場合には陽実証と、陰虚証と類似している場合には陰虚証と、陽虚証と類似している場合には陽虚証とそれぞれのパターンに従って標治法を行っていくことになります。陰実証特有の標治法というのは、あまりないですね。下腹にお血が溜まりすぎている場合には下腹を温めてやらないと鈍い腹痛が取れないというおばあちゃんが最近は着物もよくなれば食べ物もよくなったので少なくはなりましたけど、私の開業当初はおられたのでそのようなことも必要かとは思いますけど陰実証特有の標治法というのは、あまり考えなくてもいいかなと思っています。


 手技については「この病体が衛気を欲している病体なのか」「営気を欲している病体なのか」ということによって変わってきますので、体表観察によりどちらの手技を用いればいいのかを判断しながら行って欲しいと思います。それでは次に進めます。


4.治療の流れ
 では、もっと具体的に臨床現場での流れを書いてみます。一般的な治療のケースですから、緊急的に痛みを軽減させたり悪寒を取るなどの必要がある時にはこの限りではなく、補助療法から取りかかったり標治法を先にすることも必要です。臨機応変に対処してください。




4.1 本治法
 証決定の段階で既に選経・選穴まで済んでいるはずですから、それにしたがって五行穴や五要穴に補瀉を行います。陽経に関しては陰経の処置が済まないと決定しにくい面があるのですが、脉診のみで順次決定するのではなく病理を考察し確認方法を併用しながら補瀉を進めてください。本治法終了の目安は脉が整い腹診やその他も改善していることですが、重病であれば即時の変化が得にくい場合もあるので、この時こそ脉の凸凹ではなく菽法を目安にしてください。




4.2 標治法
 本治法から即座に標治法に移るのではなく、少し時間をおくことを推奨しています。これは本治法の影響が全身の隅々まで行き渡るにはある程度の時間がかかるためで、逆に言えば患者さん自身の力で自然治癒力が高まるのですから回復は早くなり、治療家も余計なプロセスが減るということはリスクも減るということなのでお互いに利益が生じるのです。


 それで病状を考慮して体位を決め、四大病型のパターンにしたがって背部や下肢へ適宜補瀉を行います。名穴や特効穴といわれるものを用いることは否定しませんが、あまり頼りすぎないようにしてください。むしろ経絡治療だからこその治療の工夫ややり方というものが諸先輩より数多く発表されていますので、そちらから引用することをお奨めします。
 お灸については付録編に参考論文があります。補助療法については簡略ですが実技編に収録されています。奇経治療については経絡治療と何ら衝突するものではありませんが、踏み込んでいくと範囲があまりに広いので別項目として総論編に収録してあります。それぞれ参照してください。


 ここまでで主要な部分は終わりましたので総論編は四回で終了ですし、大体のことは既にお話しさせて頂きました。


 付け加えのことになりますとこの中にも書いてありましたが、研修会では時間的なことがありますので本治法が終わったら即座に標治法に取りかかっていますが、即座に取りかかるよりもしばらく時間を置いてあげる方がいいと思います。これは他の先生方とも集団研修をした結果からです。うちの治療室では、本治法が終わってから標治法に取りかかるまで三十分くらい時間があるのです。最初に本治法をして「それじゃ前半は終わりましたから」となるのですが、初診であれば「何するねん手足に訳の分からんことしといて、まぁ話はしてたけど」とキョトンとされています。中学生くらいになると携帯電話のメールをしているのかゲームをしているのか、待っている間中、カチャカチャカチャカチャずっとやっていますから「こっちがイライラするっちゅうねん」という感じですけど(笑)。初回は緊張されていますけど、九割以上の方が素人さんは本治法とはいわれないですけど「手足の鍼から次へ移るまでの間がとても気持ちいい」といわれます。これは経絡が回っているからです。


 「何で手足の鍼のあとは眠くなるの?」という問いに西洋医学的には、あくまでも患者さんへの普段の表現ですけど「身体が治るのは寝ている時に治るでしょ、寝ている時というのは副交感神経が活発になっているもので鍼で副交感神経活発モードへ強制的に入れているから、だから当然眠くなる」と説明しています。まぁ西洋医学的には単純にはこのようになるでしょう。経絡が巡り身体がどんどん整ってくるのですから、生命力が高まり、それで「自分で治そう」と働くので眠気がして当然だろうと思います。そして寝て頂くと先程のそう理の話につながってくるのですけど、一番いい状態を示していますから自然治癒力が高まって回復していくのです。こっちはやることが少なくなる・向こうは気持ちいい、おまけに同時進行で幾人もの治療が出来る、人類皆兄弟万々歳ということになっていきます(笑)。このような工夫が必要だと思います。難経には「経絡は一日に五十回回る」とありますから分数に治すと二十九分、だから半時間程度は間を置くのだということになります。


 それから標治法の「適宜体位を決め」という話をしておきますと、腰痛の場合ですと腰の筋肉というのは非常に強いですしお腹には骨がありませんから身体を支えなくてはならないので腹臥位にさせてしまうと筋肉が緊張してしまうのです。西洋医学的にいうと筋肉が緊張して神経圧迫を起こすために痛むのですよね。東洋医学的にいうと経絡の通暢が悪いところへ、緊張させるとさらに通暢を悪くさせるので出来る限り緩めた状態で治療すべきです。ですから腰痛の治療は横臥位でやりますし、膝が痛む場合にも膝が先に悪くて腰が悪くなってきたのか腰が先に悪くて膝へ来たのかこれは「卵が先か鶏が先か」と同じですから議論の対象にはならないでしょうけど、横臥位で治療するのが原則です。他には腹痛がする時に腹臥位にさせたりすると返って吐き気がするので、横臥位で治療するのが普通でしょう。


 逆に首では身体の中心に骨がありますから肩こりが発生するのであり、腕が痛む場合には腕をだらりと下げた方が楽になるケースがあります。ですから、肩こりは筋肉が緊張している時に治療をしなくてはならないでしょう。緊張が緩んでいる時に揉んでも、あまり聞かないでしょう。もちろん深く奥を揉むというのであればあるいは肩上部に痛みがあるというのであれば横臥位でもいいでしょうけど、経絡の通暢が悪いのを改善してやろうというのですから単純に肩こりがするあるいは首の場合には痛みがあっても支えが出来ないので、通常は腹臥位で治療するのがいいでしょう。時によっては座位で治療することもあるでしょうし、補助療法で出てくるナソ治療の場合には横臥位・仰臥位・座位の順番で同じ施術をしても刺激量が段々多くなっていきます。座位で治療した時のナソは非常に刺激量が高いですから、気をつけなくてはならないほどです。このように刺激量という点においても変わってきますので、患者さんの体位を考えて治療をしていくのです。




4.3 継続的な治療
 一回の治療で全ての病体が治癒できればもちろんいいのですが、実際の患者さんは劇症であったり慢性も相当に慢性になっているだけでなく放置してあったりと、そのほとんどが継続しての治療が必要になります。


 ここで問題となるのが「一回の治療はどこまでやればいいのか」ということです。治療量(ドーゼ)と合わせて治療家一生の課題ではありますが、端的な表現をすれば「プラス方向に向いていれば思い切ってやめる」です。標治法の項目で書いたように全身へ効果が浸透するには時間がかかるのですから、経絡の力を信頼して思い切ってやめることです。「過ぎたるは及ばざるがごとし」の経験を誰もがしてきましたしすることでしょうが、興味本位で施術し「壊すべくして壊れた」状態だけは絶対にしてはいけません。患者さんは貴重な身体を投げ出してわれわれに経験を与えてくれているのですから一人一人を師匠と思わねばなりません。


 継続治療で「どこまでやるのか」が、研修会では一番研修しにくい実技です。また次に観察できるのは一ヶ月後ですし、いくら早くても水曜研究会での二週間後ですからこのあたりは経験と先輩方からの話を聞いて、自分で積み上げていくことになります。


 それから助手経験のある人は何故早くから流行るかということなのですけど、技術的なことが出来ているというのも一つだと思います。けれど、患者さんの具合が悪くなった時あるいは完全な失敗をした時に師匠がどうやって取り繕っているのか・どうやってカバーしているのかを見ているので、必ず失敗というものはやるのですからその時にどうすればいいかが分かっているので早くから流行るのです。それ以外に、私はもう一つ「どこまで治療するのか」が身に浸みているので早く流行るのだろうと思っています。色々な考え方があるでしょうけど、開業をしようと思うのであれば・チャンスがあるなら、若い方は是非とも助手の道を考えて頂きたいと思います。これは絶対にプラスになりますから助手にならなくても、押し掛けの見学でも何でもいいと思います。
 
 それからちょっと誤解を招きそうな表現の箇所があったのですけど、「プラスの方向に向いていれば思い切って止める」というところです。これは本治法がプラスの方向に向けば止めるということではなく、あくまでも全体がという意味です。研修会の中で脉を診ていて・体表観察をしていて一本二本と鍼をして「うん方向性はいい」という発言がよくあります。方向性はいいのです。でも、方向性だけでなく本治法はちゃんと完成させてやらなければなりません。その上で「壊すべくして壊さないために」、「患者さんが確実によくなっている」状態、ぎっくり腰や五十肩でもそうですしまだ頭痛がしていたとしても「壊すべくして壊さない」ために、治療室の中で完全に症状が取れないだろうという病状の時には「思い切ってプラスの方向になれば止める」ということを頭に必ずおいて欲しいということなのです。


 かなり時間が超過してきたので本当は治験例を沢山喋ろうと思っていたのですけど、次回から理論編に入っていきますのでその中で治験例を沢山喋ろうと思います。最後に一つだけですが、継続治療の中で気をつけてというのか苦い思い出というのか、そんなことを喋っておきます。


 「治す気持ちがなくなった患者さんは追いかけない」ということを、覚えておいて頂きたいのです。


 紫斑病という血小板が作れなくて足りなくなり、血液の固められない患者さんがおられたのです。自転車のハンドルで軽く手を打ったとか子供が何かをしようとしたのでタンスの角にポンと当たっただけでも、手が紫色になるくらい内出血を起こすような患者さんでした。血小板は十万程度あるのが通常で、二万を切ってくると危なくて一般社会には出しておけない状態で最低は一万ちょっとまで落ちたことがあったそうです。うちの治療室に来られた時には、医者も患者さんも「あとは好きなことをしてそれで出血して死んでもしゃあないやないか」という感じで病院から出てきておられたのでした。「ただねぇ腰が痛いのと肩が痛いのが困るんで、何とかなりまへんか」ということでほとんど鍼を刺さないので内出血はないでしょうとの確認はありました。ですから、その当時は毫鍼だったのですけど標治法でも絶対に鍼管は使わないということを誓って取りかかるとどんどん回復して、血小板も平均四万から六万になりました。最高は七万にもなったのですけど、亡くなられる半年前にガクッと悪くなったので「何いうてるねん今まで月に一回か二回だった理論編に進みますが理論は手短にして実技編へと続けていきます。のを毎週来なさい、とりあえずこんなところでへこたれておられへんやんか」と一ヶ月で六回くらいたたみかけて治療をやったと思います。すると血小板は九万にも回復し「よかったよかった」と喜んだのでした。しかし、あとから考えればもうこの時点で峠は越えていたのでしょうね。


 年末にまた悪くなり、これも治療すればよくなっていました。ところが、年が明けて一月末だったと思います。「風邪ひいて具合悪いし寒いから今日は行くの止めるわ」と電話があり、「あぁそうですか、また数値が盛り返してきたところやしちゃんと通いや」と話したのですけど「うーん、一度病院へ行って来る風邪も治りきらへんし」と返事です。ハッと思ったのです、「この人治す気がなくなったな」と。そして「さようなら」と言って電話を切ったのです。そうしたらその通り病院へ入ったら悪くなり、最終的には血小板を増やす薬剤を入れている時だったか検査をしている時だったかに脳溢血を起こして、さらにその治療中に二回目の脳溢血が起こってということで旦那さんは「病院に殺された」と非常に怒っておられましたけど、まぁその前に患者さんが治す気をなくしていたのですからねぇ。あるいはフリーのアナウンサーになられた逸見さんが癌になられた時に一度は復帰されたのですけど、また自主的に入院された時に「あぁ治す気がなくなったな」と思ったものです。他にも何人か「あっ、治す気がなくなったな」と感じたことがあります。それは本人が悟ったのか諦めたのか分かりませんけど、多分本人が悟ったのだと思っています。そのような時には、無理なことは言わないあるいは一番困るのが家族に告げて無理に連れてこさせたりすると後がこじれますので、その見極めが臨床の中では大切かと思います。


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