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リレー講義【気について】
 二木 清文先生

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 会員の持ち回りによるリレー講義「気について」も、今回の私で最終回となりました。何故か最終回に当たってしまいましたので、これまでの簡単なまとめも含めまして、「気」を出していくということについてお話しできればと思っています。

 まず、いままで様々な形での発表がありました。各種存在する漢字を調べてその年代や意味を解説してくれた人、臨床室の報告をしてくれた人、古典からの分析をしてくれた人、易学も含めて広範囲に調べてくれた人。易学から様々に考察された発表に関しては、私の知らなかったことも多くとても参考になりました。そして、最も興味深かったのが「気が見える」という会員からの発表であり、その作用や走り方などは普段感じているものと大きな差がなくて、逆に安心させてもらいました。。本人が目の前にいるのに補足するというのも変な感じですが、「気が見える」といっても本当に視力で見えるのではなくそのイメージが映し出されるというのか画像イメージとして認識できるということであり、発表された二人のうち一人は全盲の先生でした。
 これらを振り返っていると、「自分は鈍いから分からない」と繰り返している人は「感じたい」という気持ちが足りないのであり、感じるための努力さえすれば誰でも感じられるようになるものだと思います。どれくらいまで敏感になれるのか見えるようになるのかまでは別として、必ず感じられるようになり自由に操作できるようになるものなのです。ただし、気持ちいい手にしておくとか自分の気に入るような診察をしないなど、しっかりした基礎理論も大切ですよ。

 まず東洋医学、いや東洋哲学を語る上で「気」というものは陰陽や五行と並んで根幹であります。「宇宙の始まりを太極といって、全てはそこから気が分化して発生したものだ」と書かれていますし、現代物理学で言うビッグバンにしてもそれ以前は何も分からなかったわけで、このよの構成要素は全て「気」であると認識してもいいのではないでしょうか。ニュートリノという素粒子には最初質量がないといわれていたものが、理論的には質量がないと不都合となりそれを発見した日本人がノーベル賞を受けたわけですが、「気」もそのうちに物理学的に証明されるかも知れません。個人的には気の存在が具体化すると医者や行政が奪い取りに来るので証明されても証明されなくてもいいと思ってはいるのですが、例え証明されたとしても気をコントロールするには時間と修練が必要なので、我々が今頑張っておけば何も心配はないですね(笑)。

 視点を変えてもう少し「気」についての復習をしてみると、日本人は特に訓練をしていなくても普段から気を感じているのです。「元気がいい」「熱気が充満している」「殺気を感じる」などであり、「天気がいい」というのも気を感じている一種なのですが天候のいい日はとても気持ちいいですよね。それが気をを感じていることなのです。


 もう一つ私が聴講班を担当する時に必ず話している、単純ですが分かりやすい例を出しましょう。とても好きな人が横にいたとします。私の場合なら可愛い女の子ですね(笑)。その人と何気なくでも手が触れただけでとても気持ちがいい。大好きで仕方ない人であればあるほど、ちょっと触れただけでも天にも昇るほどの気持ちよさです。これはその人と「気」を交流させたいと願っているからであり、その交流が実現したからですね。時によっては隣に座っているだけでも気持ちよくなるのは、「気」というものが必ずしも接触を必要とせず空中を飛ぶことも大いにあることの証明であり、これだけでも接触鍼はとても有効であり接近でも効果が出せることがおわかり頂けるでしょう。


 反対にとても嫌いな上司が宴会の時に「ちょっとお酌くらい」と嫌らしい手つきで触ってきたとしたなら、あなたは鳥肌を立てて悪寒を思いっ切り感じるでしょう(笑)。これは毛を逆立てでも相手の気が入ってきて欲しくないと必死に抵抗をしているからなんですね(笑)。


 交流させたい相手なら気持ちがよく、交流したくない相手なら気持ち悪いというのは「気」に種類があることの証明であり、「気」はコントロールできるものではありますが相手から注がれてくることもあるものだということです。

 次に「気」のコントロールについてですが、初心時の刺鍼練習では次のように考えてもらっています。「押し手でも刺し手でも構いませんから指先に集中してください」と。集中するということは「気を付ける」ということであり、即ち最も簡単な気のコントロール方法ということなのです。これが上達してくると集中的に気を出すことが出来るようになったり、道具を使わずに空中を飛ばして人に作用させるようなことも出来るようになるのです。

 ところで、我々は「気」を用いて治療をしている訳なのですが、このような治療を行うのに「素質」というものが関係するのではないかと心配している人がいると思います。確かに素質を持ち合わせている方が有利ではあります。しかし、特別な素質がなくても普通に勉強し努力さえすれば、鍼灸という道具を用いることで素晴らしい効果を誰もが実現できるようになります。


 一時期ですが、中国で「気功師」という職業が流行った時期がありました。まぁ芸能人に憧れるようなもので、お金も入ることから花形職業と考えたのでしょうね。ところが、特別な素質も持ち合わせないのに気功を繰り返していたためでしょう、そろいも揃って変死をしたのです。とても考えられないような変死です。それも四十代半ばという若さです。これは「天空の気を吸って・自分を媒体とし・向こうへ送り出す」という段階で、強烈に向こうへ送り出すにはやはり素質が必要なのに、無理に押し出そうとして自分自身が持っている気を使ってしまうために、「気」が枯渇してしまったのではないかと想像されるのです。強烈に送り出すには元々持っている気も大きくなければなりませんがうまく増幅の出来る素質が必要であり、気功師には限られた人しかなってはいけないのです。


 それから大きく勘違いされている人もいるので、ここで気功法の概略について話しておきます。鍼灸の勉強会なのですから気功法の解説はしなくてもいいんですけどね(笑)。テレビで出てくる「手かざし」を外気功といって、これは見ての通り気功師が発する気によって治療をしてもらうものです。しかし、気功法全体からすれば四分の一程度の比率であり、四分の三の大多数は内気功といって瞑想などをしながら自分自身で身体の気を整える方法なのです。外気功のみの治療というのはないのです。どうしてもテレビでは「見える」ことを基準にしたがりますし派手なものでないと分からないので、外気功が「気功法」のように伝わってしまいましたが、実体は地味な部分の方が多いのです。外気功を施しながら喉の手術を麻酔なしでやっている映像を見たことがありますけど、確かにそれだけ素晴らしい力を目の前で見せつけていてもあくまでもデモンストレーションであり、毎日の臨床で同じことが出来るはずがありません。

 では、我々はといえば「鍼灸」という素晴らしい道具があるので、素質があればなおいいですが特別なものは必要ないでしょう。努力しなくても・勉強しなくても出来るとは言ってませんよ(笑)。


 また話が飛んでしまいますが、「経絡」という言葉だけは今の日本人は比較的よく知っています。ご存じのごとく「北斗の拳」で経絡秘孔という言葉が有名になったからです(笑)。でも、経絡秘孔は実在しなくても武術では経絡を重視していたようです。少し思い浮かべれば分かることなのですが、経穴の位置は急所にも一致しています。つまり武術の強い人は経穴を正確に鋭くつくことのできる人であり、人体のことをよく知っている人なのです。また攻撃を避ける時には邪気を出しているわけではありませんが、経穴を突かれないようにそのような気を出しているとも聞きました。


 ということで、鍼という道具を用いることでピンポイントで相手へ気が送れるために鍼灸師は特別な素質がなくても「気」が扱えるのです。以前には相手の体内へ侵入までして気が送れることを利点と考えていたのですが、これはあまり当たっていなかったかも知れません。その理由は先程の武術で述べたように、邪気が経穴を通じて出てくるためであり、鍼は邪気を受けないように気の流れを一方通行にするのが本来の目的であったという話も聞いたことがあるからです。これは現在使用させてもらっている森本てい鍼の形状を見てもうなずけますね。

 さてさて前置きばかりが長くなりましたが、ここからが本番ですよ。営業反映の秘訣を含んでいるかも知れないので、耳の穴をよくかっぽじって聞いてください(笑)。

 皆さんにお尋ねしますが、「自分の鍼はうまい」と思っていますか?自分の施術は上手だと思っていますか?(目の前の会員より、自信がないなぁとの言葉)。


 私は自分で自分の鍼はうまいと思っていますよ、それもずっと前から学生時代から思っていますよ。逆に問いかけさせてもらいますけどね、自分のことを下手だと思っているような人に施術してもらいたい患者がどこの世界にいますか?「自分はまだ下手だけど」と前置きをされたなら、逃げ出しませんか?修行中というのであれば納得する人もいるでしょうけど、下手な人には施術してもらいたくはないですね、私なら。


 別に「二木は世界一鍼灸術がうまい」とか、「俺が鍼灸の神様だ」なんて思っているわけではありません。私は今でも一年に一度以上は師匠のところへ出かけていますし、福島先生や新井先生や森本先生とか漢方鍼医会だけでも素晴らしい先生が大勢おられますし、池田政一先生や首藤傳明先生など他の会にも沢山人生の先輩であり鍼灸でも素晴らしい技術と知識をお持ちの先生が大勢おられるのですから、自分の鍼灸術だけがうまいと表現しているのではありません。

 これは考え方の問題でもありますけど、これこそが「気」を出していく秘訣の一つだと私は感じているのです。ご自分のことで振り返ってみてください。半年前や一年前と今の臨床は少しずつでも変化をしているはずです。何故変化をしているかといえば、うまくなっているからです。三年前にはまだ脉診すら知らなかった人もここには大勢おられますし、その人たちは脉診を少しずつでも身につけることによって診察・診断の方法を学校の知識以上に身につけているのであり、体表観察という方法も会得しつつあれば、もっとうまくなっています。私だって今は滋賀漢方鍼医会の代表なんて名前だけは偉そうな職種をもらってしまいましたがうまくなりたいから研修会に毎月参加しているのであって、決して自慢話をするために研修会をやっている分けてはありません。もっともっとうまくなりたいのです。


 ここで喋っていると何でも病気が治せるように思われているかも知れませんが、来院される患者さん全てを治すことは出来ませんし毎日分からない病気ばかりで悩むことも多いのです。最も脳天気ですから深刻に悩む時期は年間で数日程度かも知れませんけど(笑)。

 先程「学生時代から自分はうまいと思っていた」といいましたが、これは本当の話です。それこそ学生時代というのは幼稚でも技術の獲得は日進月歩であり、一人治療をさせてもらうだけでも新しい発見と驚きと恐怖の山となります。だからこそ「昨日よりはうまくなっている」「三日前よりはうまくなっている」「一ヶ月前よりはうまくなっている」と、自分に言い聞かせていました。実際には迷いや間違った知識から逆に下手くそになっていた時期もあったでしょう。私にとって大いなる転機となったのはこの勉強会に入会させてもらったことであり、近畿青年洋上大学という船で中国を訪れる研修に二週間参加した時に直前まで研修させてもらっていた宮脇先生の治療室で学んだことを投入し、強制帰国寸前の発熱や飛行機の中で発生した胃炎による腹痛などを治すことが出来たのが今につながっています。だから脉診流を外来臨床にすぐ投入するだけでなく鍼灸専門治療へと教員とけんかをしながらも切り替えてしまい、クラスの中で実践しているのは自分一人でしたから「俺はこのクラスの中では抜群にうまい」「学生レベルでは相当にうまい」とは思っていました。そのとばっちりを受けて、小林先生が同じ道に引きずり込まれて今でも腐れ縁になっているのですけどね(笑)。もっともこの近畿青年洋上大学での治療は、技術ではなくそれこそ「気」によるものだと思いますけどね。詳しくは「鍼灸の可能性に思う」という論文に書きましたので、読んでみてください。


 「自分はまだ世界一じゃないけどうまい、もっともっとうまくなりたい」と、慰めるのではなく自信を持ちながら上を目指す気持ちが大切でしょう。毎月勉強会に参加するだけでも確実にうまくなります。但し、月一回の修練だけではうまくならないので、その間には自己修練を欠かさないことが条件です。先月よりもうまくなっています、そして来月はもっとうまくなりましょう。

 その他にも、電話の応対は患者は病気なのだから陰であるため陽気に応対するとか、瞑想をするとかスポーツで鍛えておく、それから先程一回目の話をした「自己治療」による健康管理で整えておくことが「気」を出していく秘訣と思います。


 以上、皆様の参考になれば幸いです。



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