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リレー講義【気について】
小林 久志先生

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  それでは「気について」ということでお話ししたいと思います。非常に「気」というものは、目に見えないものですから、要するにイメージするといったことが大切になってくると思います。先ほど二木先生も言っておられましたが、「心に円を描けば補をもたらし、心に角を描けば瀉につうずる」ということで、これも言わば心の働きですよね。ですから、心と気の働きには大変密接な関係があり、このことは、後々大事になってくると思います。


 それで我々は自然界の大きな気の中で生きているというか、暮らしているわけですね。当然ながら、大自然の中には気が遍満していて、我々はその気の影響を受けているわけです。例えば自然の色々な浄化作用とかがあるわけですが、気は目に見えなくて、また意識をしていないから分からないっていうだけで、常に影響を受けているわけです。我々が普段生活をしていて、何気なく使用している言葉の中にも「気」という字がついている言葉っていうのは沢山ありますよね。病気というのもそうですし、例えば人の多く集まる所は熱気がすごいとか活気があるとか言いますよね。また動物が一番感じる気は殺気とも言われていますが、これは自らの危険をいち早く察知することで危険から逃れるためでもあり、命を護るという防衛反応とも言えます。気は目には見えなくても必ず作用としてあるものであって、意識するしないにかかわらず、そういう気を受けて我々は生活をしているということですね。


我々が経絡治療を学びはじめた時、あるいは漢方を学ぶ時に、当然この気というものを勉強していくわけですけれども、気の作用としては大きく分けると六つあります。


 まずその一つめとして推動作用というのがあります。これは推し進めるということですね。要するに、歩くとか走るとか、あるいは言葉を話すとか、これもすべて気の働きなんですね。また、血や津液を身体に巡らすという働きでもあります。血や津液は自ら巡っているのではなく、気の推動作用によって、気と共に血や津液が全身に巡らされるということなんです。それから余分な水液なんかを汗とか尿として外に排出するという、そういう作用がこの推動作用でもあります。


それではここで「話をする」ということだけを取り上げてみると、我々は患者さんが来ると、特に我々視覚障害者は、患者さんの声の調子とか声の響きなんかがとても気になりますね。これは勿論、言葉自体の持っている意味とか力もあるんですけども、声の響きですよね。例えば声が高いとか低いとか、ちょっと濁ってるとか、そういったことで患者さんの体調が分かるものです。今日はちょっと機嫌が悪いなとか、今日は体調が比較的良さそうだなとか、まさに声の響きによって察知するという、これも気の働きですね。そういったものを微妙に感じながら我々は臨床を進めていくわけです。もう一度言うと、歩くとか走るとか、話をする、あるいは血や津液を巡らすというのは気の推動作用であるということです。これが失調するとどうなるかっていうと、動きが緩慢になりますね。それから血や津液が巡りにくくなって、汗や尿も出にくくなって、身体に浮腫が出たりという状態になります。


 次に二つめとして温煦作用があります。これは身体を暖めるという働きですね。身体を温めるということで、ある面白い話を聞いたことがあるんですけども、ある修行者が寒さに耐えるためにどういうことをしていたか?っていうと、自分の周りにたき火を焚いているイメージをするとか、あるいは真夏の太陽がカンカンと照っている、もうジリジリっていう感じで、熱いなあっていうイメージをするんですよね。そういうようなイメージをすることによって、寒さから自分の身を護ったっていう話です。ですから、これもやっぱりイメージっていうか、心の働きと気の関係が密接に関わり合ってるということですね。ですから、気には元々身体を温めるっていう働きがあります。それで、これは次の防衛反応にも関係すると思うんですが、よく鳥肌が立つって言いますよね。これは一つの気の働きですよね。毛を逆立ててそこに気を貯めるっていうか、陽気を貯めることによって、体温を奪われないようにするんですよね。まあ、これが温煦作用ということです。


 次に三番目として防衛作用ですね。これは要するに、外邪から自分の身を護るということです。外邪に犯されないために身を護る、あるいは外邪が侵入した場合に、外邪を外に出すっていうか、追い出すっていうか、そういう働きも気がしています。これが防衛作用です。漢方では「内傷なければ外邪入らず」って言いますが、内なる護りが崩れると外邪の侵入を簡単に赦してしまうことになるわけです。


じゃあ、病気の起こる原因に外因とか内因とか不内外因がありますよね。その中で内因すなわち、内傷っていうのは所謂心の病ですね。要するに、現在でいうとストレス、精神的なストレスによって内なる護りが破られるっていうことです。それで、漢方ではこれを「七情の乱れ」って言います。喜・怒・憂・悲・思・恐・驚という、要するに喜ぶとか、怒るとか、それから憂悲、憂い悲しむとか、思いを過ごすとか、恐れ驚くという、この七つが変動することによって、バランスを崩したりすることによって、その内なる経絡の気が破られるということです。だからそういうことによって安易に外邪に犯されるっていうか、要するに抵抗力が落ちてしまうって状態ですね。だからこれもやっぱりね、心の持ち方、患者さんもそうですし、やっぱり病気を治す時に、この心のあり方っていうのはものすごく身体に影響するんですよね。


因みに、病気の治らない3パターンということである本を読んだことがあるんですが、例えば病気を治すことにあくせくしている人は治らないとか言われてますね。“ああ、何処の病院がいいんだろう?”とかいうことで、あっちの先生が良いと聞けばあちらの病院、またこの先生が良いと聞けばこちらの病院に行ったりとか、またこの薬が良いのではないかと聞けば、色々な所へ出かけては買い求めてしまう人がありますね。そういう風に、病気を治すことにあくせくしている人はなかなか治らないと言われています。これは病気の本質を見ていないからだと言われていますね。


それともう一つですが、病気が治らないと思っている人です。当然と言えば当然ですよね。自分が病気が治らないと思っているんだから…、まあ治りようがないっていう感じですけどね。


それと最後の一つは、病気が治らない方が都合が良い人です。これもなかなかやっかいなものでねえ。まあ、そういう人は都合が付けば治るんでしょうが(笑)。これも治らないと言われていますね。


だから要するに、病気を治す時でもそうですが、プラス思考とか最近はよく言われますけども、何故プラス思考がいいかというと、プラス思考の方が絶対に得だっていうことなんですね。だから心が前向きであるっていう人は、それだけでかなり、この「内傷なければ外邪入らず」とかね、所謂内なる経絡の護りという意味から言っても大切なことなんですよね。心をしっかり持つという、目的をしっかり持って行動するとか、そういうことが病に立ち向かうためにはとても大事になってくるということですね。まあ、これが防衛作用ということです。


 四つ目に固摂作用というのがあります。これは血液が外に漏れ出るとか、体液ですね、所謂汗とか尿とか、精液とか、全部そうですけど、外に過剰に漏れ出ることを防ぐっていうことですね。それと内臓が下垂するのを抑えている作用ですね。これらが固摂作用ということですが、これが失調するとどうなるかっていうと、汗がじくじく出てくるとか、おしっこがダラダラ垂れ流してしまうとか、出血して停まらないとかいうことが起こりますし、それから内臓下垂ですね。胃下垂もそうだと思いますし、子宮が下がってしまうとか、脱肛とかね、まあそういうことが起こりますよね。


 次に五つ目として気化作用があります。これは変化するっていうことですから、ある物が違う物に変化するっていうことです。例えば飲食物ですが、所謂水穀を血や津液に変えるという作用です。あるいはまた、津液とかを汗とか尿とかに変える働きが気化作用ということになります。


 それから後、六番目として栄養作用がありますね。これは特に気の中でも営気と言われているもので、営気というのは栄養分を十分に含んだ気ですから、血、まあ営気と血と共に全身に栄養を巡らすというか、そういう働きがあります。これが失調した場合には、身体が疲れるとか、痩せるとかということになります。
ということで、これらをこのように六つに分けることができます。 もう一度整理をすると、推動作用、温煦作用、防衛作用、固摂作用、気化作用、そして栄養作用という、この六つを気の作用として大きく分けることができます。


 では実際に治療する面においての話をしたいと思いますが、気というのは目に見えないものですから、実際にどのように捉えてよいのかが分からない。しかし私たちは、その気の変化を脉とか体表の変化として捉えていくことができるわけです。ある意味、そういうもので捉えていくしかないということもあるんですが…。
それで、気とは普通は見えないものとされてるんですが、気の見える人があるんですね。また変なことをいいよるなあと思われるかも知れませんが、私が気を感じれるようになったのは、そうですね、東洋はり医学会の本部に通っていた頃に突然気が分かるようになったんです。患者さんを治療していると、それもうまく治療が行くと、患者さんの身体から丁度10pか20p位の幅で、色は真っ白じゃなくて真珠のような少し淡い白でものすごく綺麗なんですよ。そういう膜が患者さんの身体にできるんです。最初は“何だこれは?”って感じで、それが何だか分からなかったんですが、またある時、疲れてうたた寝をしてたんですね。それでふっと目を覚まして身体を触ると、気が巡るのが見えるんです。見えるという表現をすると、“お前、目が見えへんやないかい?”って言われたらそうなんですが、だから見えるっていうよりも感じれるっていうか、これ何かとても不思議なんですが、そういうのが分かるようになったんです。“ひょっとしたら、これが気とちゃうの?”て感じですね。


 それで東京の本部に通っている時に、宮城の支部長をされていた菅原先生っておられたんですが、偶々席が隣になって話をしたことがあるんです。そうしたら、菅原先生も気が見えるって言われるんです。全盲の先生ですよ。“どんな風に見えますか?”ってお尋ねしたら、“患者さんの身体に膜が張ったように白く見える”って言われるんです。“同じやなあ”って思って、やっぱり気なんだとその時に思ったんです。だから偶にそういう人がおられるんですね。ですから、全く形に表れないもの、あるいは数値として出ないものは真実ではないという風に言われますが、でもこの世の中には、分かっていることよりも圧倒的に分からないことの方が多いのですから、中にはそういう人がいるということですね。


そこで、じゃあ、気が分かったら良い治療ができるのか?って言ったらこれが違うから困るんですけどね(笑)。それで気が分かり出すと、かえって治療をやりすぎたりすることがあります。だから、そういうところは気をつけないといけないんですけど…。


それから、後こういう話を聞いたことがあります。 人間は大自然の気を受けているっていうことを最初に話をしましたが、今鼻汁を垂らしている子供が少ないですよね。ほとんどいないように思いますが…。私が子供の頃は鼻汁を垂らしてる子供が沢山いました。因みに私も鼻汁を垂らしてましたね。それでよく服の袖で鼻を拭くもんですから、何時も袖がカバカバになって先生によ注意をされてましたね。それで私意外にも鼻を垂らしている子供はいっぱいいました。私の子供の頃っていうのはまだ自然が沢山残ってました。それで文明社会っていうか、先進国になればなるほど、また人間が手を加えれば加えるほど、自然界の気の影響っていうか、気の流れを遮断されてしまうんですよね。要するに、道という道にアスファルトが敷かれ、あとビルとかね、コンクリートの中で生活してますよね。当然地肌っていうか、自然の地面っていうのは少なくなってきてますよね。だから天地陰陽、その気の交流っていうのがしづらくなってきているって言われてます。天と地の間に生きている人間が、言わばアースの代わりをして、自然界の気が身体を通り抜けるんですよね。そのことで自然の浄化作用が働いて、身体の中にある悪いものが鼻汁となって外に出るとかって言われています。ですが、現在はその自然の浄化作用がうまく働かなくなって、だから鼻汁が出なくなったんだと言う人もあります。じゃあ、その出なくなった鼻汁は何処に行ったのか?ってことになりますが、それが結局体内に残ってアレルギーの原因になっているのではないかと、そういう説を唱えている人もあるくらいです。ですから、人間はより自然に近づいていくっていうのが大事なことだと感じます。食べ物にしても陰性の物や陽性の物があるわけですし、できるだけ人工の手を加えていない物、自然に近いものを取ることが大事だと思います。
また日本には四季の移り変わりがあります。人間もその季節ごとに併せた生活をするっていうことが基本ですよね。例えば春は春生ですから、植物の芽が芽吹いて新たな生命が誕生する時ですよね。冬眠していた動物や昆虫が地中から出てくる時ですから、我々人間の身体もそれに併せて身体を動かし始めないと駄目な時季なんですね。


 夏は夏長と言って成長する時季ですから、人間もドンドン身体を動かして汗をかくというのが基本ですね。しかし現代は、冷房の効いた部屋で一日中汗をかかずに過ごすってことが結構ありますよね。それで暑いからと言って、冷たい物ばかり食べているとか、そういうことで無理をしたことが秋口になって出てくることになるわけです。でも今の生活で、冷暖房なしで過ごせと言っても絶対無理ですから、ですから、一日の内に一時間か二時間くらいは自然の風にあたるとか、少し身体を動かして汗を出すようにするとか、そういうことをしてやらないと駄目だということですね。ですから、より自然に近づけるっていうことが大事で、これは我々人間が持っている気を正常に保つためにも大事なことだと思います。


 では最後に先ほども言いましたが、気と心の関係っていうのはものすごく密接なものがあるので、これは我々治療する方もそうですし、患者さん自身も気の持ち方・心のあり方で病気がどのように進んでいくか、そういうことを勉強していくと非常に興味ある分野だと思いますので、また色々なことを患者さんを通してそういうものを感じ取っていただければいいかなあと思います。


ちょっとまとまりのない話になりましたが、今日は第一回目ということで、つかみっていうか前座ということでこのくらいでお許しを願いたいと思います。じゃあ、これで終わりにしたいと思います。


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