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リレー講義【気について】
 中村 美保先生

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 鍼灸は気を扱う医学といわれています。  気の概念は古代中国で確立され、我が国に文字がもたらされてのちにその思想も導入されました。我々が日常感じ、使っている言葉の中で「気」に関係しているものは数多く見られます。「元気がいい」「気が利く」「気心が知れない」「気位が高い」「殺気を感じる」など例を挙げればきりがありません。


 古代中国で確立された「気の思想」が指す「気」とは宇宙の根元であり、全ての活動そのものを意味します。


 気を分類すると自然界における気と人体内における気に分かれ、自然界に存在する気について「地気は蒸発すると雲になり、天の寒気によって雨となる。雨は地気が上昇して変化したものであり、雲は天気によって変化した雨が蒸発したものである」と天池の気の働きを論じています。


 また時々刻々と変化する気を読みとり、暦の起源も考案されました。それが節気で、『素問』に「二時間を一辰とし、五日は六十辰であり、これを一候という。十五日は三候で一節気とする。九十日は六節気で一時となり、四時(三六〇日)は一年となる」と論じています。


 話は変わりますが、家相というものがありますけれども、これは土地だけだならば気は下から上に流れています。しかしそこに建物が建つと気の流れが変わります。当然建物が建つと東西南北もできるのですが、磁北というのがあって地軸の関係から真北より少し西へ傾いているそうです。(北海道は約8度、東京は約5度、大阪約5度、九州約4度…といったように各地で異なるので実際に磁石で測ってみること。但し、地面には磁気があるので地面より1メートルくらい離して、各部屋で測ってみて磁北を定めるとよい。)それを建物の中心から南北・東西の正中線と、表鬼門ー裏鬼門をつなぐ北東(艮:うしとら)ー南西(坤:ひつじさる)・北西(乾:いぬい)ー東南(巽:たつみ)の四隅線のそれぞれ四つの線上に浴室やトイレのような不浄なものや火を扱う台所などがあっては凶相となる。北西や東南の張りは吉相だが、北の欠けは凶相、鬼門は欠けても張ってもいけない、自分の干支の方角に不浄なものは凶相など色々細かいことが書いてあるのですが、泥棒に入られたりよく病人がでる家は凶相の間取りになっていることが多いそうです。


 北は元々神聖な方角であり日の当たらない場所なので、水回りのものや不浄なものを配置すると、より一層湿気たり気の流れが悪くなってマイナスの気が発生するのです。そうはいっても家の改造など簡単に手を付けられるものではないので、その代わりに押入を作るとか、天井まで届くような背の高い家具を低いものに替えるなどして気の流れをよくしてやると良いそうです。あとは緑の樹木を植えてやることも良いのですが、(どの方角には何の木がよいかも書いてある)鬱蒼とさせているのはダメでやはり気が良く通るように綺麗に整えておかなければなりません。見る側の人間にとっても鬱蒼と生い茂っているよりは綺麗にしてある方が清々しく、気も落ち着くというものです。家の周りの溝なども同じであり、落ち葉やゴミなどで水がせき止められ、澱んでいたりするとうまく気が流れず、運気が悪くなったり、身体に悪影響を及ぼしたりします。


 家を大きくしたのが都市造りで、昔、日本史の授業で平安京が(長安を倣って)四神相応の地というのを習った覚えがありますが、玄武ー北に高い山地があり、青龍ー東に川があり、朱雀ー南に平野が広がり、白虎ー西に道が通じていて、鬼門には国家鎮護の比叡山を配し王城としたというものです。江戸城も同じで、両鬼門に上野の寛永寺・芝の増上寺を置いて護りとしました。


 方角といえば、こんな話があります。身体はどこも悪くないのに、出張先のホテルではどうも眠れないという人がいました。そこで「あなたは家ではどの方角を向いて寝ているのですか?一度測ってみて、ホテルでも家と同じ方角に枕を置いてみてください。」そうすると嘘のように眠れたということです。これは人体にも磁石があって方向感覚の優れている人は同じ方角でないと眠れないというのです。ですから私のような方向音痴の人間は(初めから磁石が狂ってる?ので)どの方角を向いていようと安眠できるのです。はー、ありがたや。


 人名も同じで、いわゆる姓名判断というものですが、字画によって吉数と凶数があります。同じ画数でも男女で吉凶は異なったり、結婚により画数が変わったりしますが、事件が起きたりすると犯人が凶数なのは当たり前ですが、被害者もまた凶数であったり、奇跡的に助かった人は吉数っだたりということもあるそうです。治療院に来られる患者さんの中にもえらくひねった漢字を付けているなぁと思った名前は実は当て字で、画数を変えていたりします。名前はそのままで平仮名にしたり、二文字の漢字を三文字の当て字にしたりと良い画数にあわせて専門家に付けてもらったようです。もちろん正式な書類には本名でないといけませんが、メールや手紙、年賀状や持ち物で日常的にその名前を使っていると運気が上がるそうです。


 名前が凶数よりも吉数の方がよいと思うのは当たり前ですが、会社や病院の看板も同じ付けるなら吉数にしたいものです。昔、ある会社の社長が、店名の画数がよくないと○で囲んで隣に小さな点を付け字画を増やして吉数とし繁盛したのだが、三代目になってそのことを知らずに誤植だと思い込んで点を削り取ってしまったところ倒産してしまったという例もあったようです。


 治療院の名前も同じで、○○治療院か○○鍼灸院かでは画数は変わってくるし、平仮名にするとまた変わってきます。縁起の良い画数や漢字、方角などを組み込んで名付けることも大切ではないかと思います。


 開業に当たってはその初日というのは重要であって、普通のカレンダーの大安・仏滅とかではなく、細かく日割りしてある暦があるのですが、それで最良の日を選ぶのも心の安定剤としても必要であるのではないかと思います。先人たちがむやみに付けたのではなく、天の気や地の気など気の流れに従って現代まで残ってきているので活用されるのも良いのではないかと思うわけです。


 全てがそんな風に吉や凶に左右されるとは思いませんが、よく言葉の暴力というように人を傷つけたり、非難したりすると精神的ダメージがきつく、それこそ七情の内因のなり病に陥ってしまうケースは多々あります。反対に患者さんとのコミュニケーションのなかで、気持ちがほぐれたり、気分が良くなったりさせる言葉の中には技術とは別の治療としての一種の効果があると思うのです。いらいらしている患者さんの中にももちろん治療を楽しみに来られているのですが、長年精神的につかえていたものを初診時に「大丈夫、これは治るから」と先生にいわれたことがとにかく嬉しくて、その言葉で心がすっと楽になって、話をしたり治療室で眠ることを楽しみに来られている方もいらっしゃいます。こう考えるとやはり言葉や文字も少なからず「気」を持っており、マイナスにもプラスにも影響するものだといえます。言葉の補瀉と言い換えてもよいかも知れません。


 患者さんはもちろん病の回復を第一に治療に来られるのですが、気軽に楽しみに行ける環境づくりというのも大切だと思うのです。清潔な治療室、明るい雰囲気、冗談を言ったり悩みを相談できる信頼関係を築くことも気の交流を良くし、効果を上げていく一つの要因だと思います。
一、「気」の分類 @呼吸の気  人間は生まれると呼吸をする。呼吸によって空中より肺に取り入れ、生命維持に働きかけるものを[気]と名付けた。




@[素問・刺法論]ー「気を止め、維いて七回息を吸い、吐くことなく首を伸ばし、硬いものを呑み込むようにす
  る…。」という滋養法の記述がある。古代の人々は様々な方法で[気]を取り込み滋養しようとしたらしい。




A人体を構成する気  [素間・六節臓象論]−「万物は天と地の気が結び合ってできたものである…。天は陽
  の気を持っている。故に天は、春 夏盛夏 秋 冬の五季を人間に供給している。地は陰の気味を持ってい
  る。故に地は、酸 苦 甘 辛 鹹という五味を人間に与えている。


 五気は鼻から吸い込み、心 肺に貯蔵される。心は顔色を支配し、肺は音声を主る。故に五気を吸い込むと顔色がきれいになったり音声がよく出るようになる。


 五味は口から食し胃腸に貯蔵される。消化することによってその精気を吸収し、五臓の気を養う。五臓の気は五味の気と結び合って津液を生じる。そして臓腑を潤沢したり精髄を補って生命活動を活発にする。その結果、生命現象である[神]が良く現れてくる。」と論じている。




B臓腑機能を表す気
 [素問・生気通天論]−「酸味の物を取り過ぎると肝気が強まり過ぎて、脾気が押さえられ衰弱する。鹹い味
 の 物を食べ過ぎると骨が損害されたり筋肉が萎縮し、心気は憂鬱になる。甘味の物を食べ過ぎると心気
 が不安定になりイライラしたり 顔色が黒くなったりして、腎気のバランスを失う。苦味の物を食べ過ぎると
 脾気が潤沢されず消化不良に陥り、胃気にも悪影響を与える」と論じている




C精神 意識 思惟を表す気  人間には五臓があり、五気を化し、喜 怒 悲 恐愛を生じる。




D生命を左右する気  生命とは存在する気の量をいう。生とは気が集まった現象、死とは気が散った現象』
  と考えている。




E抵抗力になる気 病になる気  [素問・陰陽応象大論]ー「天の邪気が人体に侵入すると五臓を傷害し、飲
  食物が熱すぎたり冷たすぎると六腑を損害する。地の湿気が侵入すると皮膚 肌肉 筋 血脈を損害す
  る。」と、論じている。




F 水穀の気  [素間・臓気法時論]ー「各種の水穀の持っている気や、味のバランスを調合して食すなら
   ば、身体の精を補い、気を増やすことになる。」と、水穀の気を調和して取り入れることの重要性を論じて
   いる。


二、人体内の「気」の作用  気の産物である人間の生命現象は、自然の運動法則に左右される。人間は、絶えず呼吸 飲食 排泄 発汗などを通じて自然界と気を交換して、生命活動を維持している。
 人間が生まれ 生命を維持して行くには、[先天の気]と[後天の気]が必要である。 胎児は父母の持つ[先天の気](父の持つ精と、母の持つ血)が合することで生じ、母が摂取した[後天の気](水穀の気)を受けて成長し、やがて出産を迎える。
 出産後、独立した生命体となった人間は、先天の気を生命維持のために消耗する。これを補う為に、[後天の気](呼吸の気と、水穀の気)を取り込む。


人体内の気の五大作用


@ 推動作用  〈生理〉人間の成長 発育、諸臓腑 経絡 組織器官の生理機能を激発し、推動する。また、血 精 津液などの生成 運化 輸布 排泄などを推動し、生命活動を維持している。
 〈病理〉しかし、気の推動作用が弱くなると、諸臓腑器官の機能も減退する。
 〈病症〉その結果、血 精 津液が不足したり、それらの運行が停滞して、輸布排泄の障害を起こす。


A 温煦作用  〈生理〉気は、温煦と燻蒸の作用を持っており、体温や、諸臓腑器官の生理活動を維持し、血と津液の循行を主る。
 〈病理〉気の温煦作用が減退すると、寒が生じ、体温が低くなる。
 〈病症〉その結果、畏寒 四肢や臓腑器官の冷え 血や津液の循行不良等の寒性の病理変化(冷え性 水腫 C血等)を生じる。


B 防御作用  〈生理〉気は身体を防御し、邪気の侵入を防ぎ、体内の邪気を削減 排除する。つまり    自然治癒力を意味する。
 〈病理〉何らかの原因で気が衰退すると、邪気の発生 侵入が容易になる。気の容量は    、病気の発生進行 予後を左右する。


C 固摂作用  〈生理〉気は、体内の液体物質をコントロールし、腹腔内の臓器の位置を固定する生理作用を持っている。
 固摂作用には次の四種類がある。
A 血液に対する固攝作用 気は血液が脈管の外に漏れ出さないように調整する作用を持つ。
B 精液を調節する固攝作用 精液は生殖を主るだけでなく、生命維持にも関わっている。気が充足であれば、気は 精液をコントロールして漏出を防ぐ。
C 体液 分泌液等を調節する固攝作用 気は、唾液 胃腸等の消化液、汗、尿等の分泌と排泄を主っている。つまり、生理活 動に適した体液の分泌と排泄をコントロールしている。
D 臓腑器官の位置を固定する作用 気は臓腑器官を一定の位置に固定させ、下垂しないようにする働きを持つ。
 気が虚ずと固攝作用が低下する


D 気化作用  [気化]とは、気の運動によって生じる種々の変化の総てを意味する。
 [素問・六微旨大論]−「物が生じるのは気の化に従うものであり、物の衰退は気の変化によるものである。すなわち、気化は生成 成長 敗漬(ハイシ)死亡の根本になる。…生存と敗漬は気の運動により生じ、運動を続けることで変化を起こす。ゆえに物体は生 化 気化の宇宙であり、物体が分散すれば、気化も終わる。」


 気は気化作用で取り込んだ水穀を精微物質に転化させ、さらに、精 血 津液 気に化生させ、廃物を体外に排泄する。


 このように、人体は絶えず自然界より必要な物質を取り込み、気化を通して人体の成分に転化せると共に、人体の代謝物産を体外に排泄する。


 しかし、気の気化作用に異常が生じると、人体の新陳代謝にも異常を生じ、強いては水穀の消化 吸収、気 精血 津液の生成 輸布、廃物の排泄に異常を生じる。気の気化作用の停止は死に直結するのである。


 以上が気の分類とその作用の概要である。 ※気の分類と作用の記載に関しては、『漢方鍼医』第5号 『「気」についての論証』志賀誠一先生の論考を引用させて頂きました。 私たちは日頃、治療室や研修会で衛気・営気の補法ということを行っていますが、実際に正確に気を補い、経絡を動かそうとするならば、どれだけ的確に生きて働いているツボを捉えられるかということにかかってくると思うのです。


 証を立て、正しい選経・選穴までたどり着いたとしても実際に取穴ができなければ治効は得られません。


 人体もその中を流れる気も常に変化を続けています。その不変な生命体の「今」を捉えるには適切な選穴までたどり着き、なおかつ生きて働いているツボに鍼をしなければなりません。


 『用語集』の中に、選穴の補瀉とは金庫のダイヤルを合わせることであり、ダイヤルさえ合っていれば扉を開けることは誰にでもできるとあります。厳密な金庫のダイヤルとは生きて働いているツボであり、鍼自体はよほどの拙劣な手技でない限り術者の差はほとんどなく、手技の大部分はどれだけ自分が自然体で鍼ができるかということだけだと教えられました。


 経絡とは常には潜在的で触知できないものの、激しい病や軽擦をすることで流れが活性化され表在化して容易に触知できるようになる。目的の経絡を流注に従って何度も軽擦すれば生きて働いているツボを捉えられるようになり、そのためには近道はなく、ただひたすらに繰り返し繰り返しの感覚訓練が必要なのである。


 最後に臨床現場から一つ話したいと思います。昨日初診で来られた女性で、五年前から箏琴を習いはじめ指を使うためか半年前より右示指に曲がりにくさを覚えたが、病院では腱鞘炎との診断で湿布をされただけでした。一ヶ月前に引っ越し作業をし、最近右手の手指全体のこわばりガ少しきつくなってきて左前腕のだるさが取れないとのこと。その旨を報告し二木先生に診断して頂いたところ、先生は患者さんの手をススッと触られ、拳を握ったり開いたりさせながら(他覚的にはわりとスムーズにできている感じ)「これは脳梗塞などの後遺症だな。」といわれました。「実は平成四年にくも膜下の未破裂で手術をした。」と患者さんが答えられ、そこで初めて脳の手術のことを知ったのですが、なぜスッと触れただけで先生には理解できたのかといいますと、両手とも全ての指の関節がこわばりのような感じで少し変形していたのです。それで脳疾患の後遺症だと判断し、なおかつ手掌と手背側の気の流れが明らかに違うからだといわれました。


 曲げにくくなってきた右手手掌側は特に気の流れが悪く、重たい感じがする、とのことでした。全く気付かなかった私はいわれて初めて意識を集中して手背・手掌に手をかざし的の流れを見ました。私の感じでは重いというのではなく、何かざわざわとした感じだったのですが、表と裏では違うということはわかりました。


 整理していいますと、患者は六五歳の女性。平成四年、頭痛はなかったがとにかく目眩がひどいとのことで当初はメニエルとして耳鼻科に通っていたのですが、脳外科に回され、くも膜下に未破裂の動脈瘤があるとのことで、放っておけば六〇歳前に破裂するといわれ、左側頭部を手術。


 最近こわばりがきつくなってきたが、それまではさほど気にならなかったそうです。


 脉はやや浮、やや広がったような感じ  本治法は七十五難で、平成十二年に腰椎すべり症の手術も受けたとのことで横臥位にて標治法。


 この時後頸部の右側はやはり気の流れが悪く、手掌ほどハッキリではないが重い感じがすると先生は仰られましたが、私にはわかりませんでした。


 偶然にも気の流れの善し悪しがハッキリわかる患者さんがいらしたわけですが、一人で問診している時は何も感じられず、先生に指摘されたあとも集中して診たのですがわからず、気の流れを感じ取るというのは私にとっては大きな課題となったのでありました。


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