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治験発表「膵臓癌の経過と治療」 

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2023年9月17日

膵臓癌の経過と治療

発表:岸田美由紀


概要:膵臓がんが見つかってから亡くなるまでの約4ヶ月の経過と治療を報告する。

患者:76歳男性
既往歴:急性膵炎、狭心症、糖尿病

経過
3月8日:父から、体重が今年に入ってから9キロも減ったと初めて聞く。この頃、しんどそうにため息をついたりする姿をよく見かけていた。

3月10日:かかりつけの病院で膵臓が腫れていると診断を受けた。詳しい検査結果は後日とのことだった。

3月17日:検査の結果、膵管に石が詰まっているとのことだった。精密検査を受けるために奈良医大付属病院に行くことになった。

3月20日:久しぶりに父の治療をした。主訴は腹痛、食欲不振、背部痛。黄疸が現れていた。ずいぶんやせて手足の筋肉に力がない状態で、膈兪~脾兪あたりが冷えていた。やせているためか、背骨が硬いところに当たると痛み、寝起きするときも痛んだ。このとき仰臥位になることができず、側臥位で治療をした。これ以降、本治法・標治法ともに側臥位で治療した。治療後、冷えている心窩部の左側と背部右側肝兪~脾兪にカイロを貼るように指示した。カイロで暖めることで腹痛が減少した。この日以降、できる限り治療をし週に2~4回治療をしていた。 この治療の時は、顔色は明るく、今すぐ亡くなることはないだろうと思っていた。

3月25日:父のやせ方が、がんの悪液質に思えて不安を感じた。

3月28日:父が奈良医大に行き、膵臓がんの疑いがありと診断を受けた。翌日、とりあえず膵管のつまりを解消するため肝臓と膵臓をつなぐ手術をすると決まった。本手術は4月11日にする予定だった。

3月29日:奈良医大から、父の手術が成功したと電話があった。検査の結果、膵臓がんであることがわかった。翌日、父とメールのやりとりをして、手術のおかげで腹痛がなくなり、食事も食べられるようになったと報告があった。

4月3日:詳しい検査の結果、がんは膵臓だけでなく、肝臓に4つ転移が認められ、思っていた以上に状態が悪いことがわかった。

4月6日:父が退院して戻ってきた。黄疸はなくなり、顔色はよくなっていたが、声に力なく、動作も緩慢であまりいい状態のようには思えなかった。
手術はできないため、4月18日から抗がん剤治療を週1か2週間に1回の割合で続けていくことに決まった。

4月18日:1回目の抗がん剤治療。変わった様子は見られなかった。

4月22日:朝、実家に行くと、父が便が出ないと苦しんでいた。自分で掻き出して少し出たようだが、すっきりしないようで体に力が入らないとこたつで1日中寝ていた。
これ以降、抗がん剤治療を受けてしばらくすると、便が出ず苦しむようになる。

4月25日:2回目の抗がん剤治療の予定だったが、血液検査の結果が悪く、治療を受けられなかった。

4月30日:元々のかかりつけ病院で摘便をしてもらった。ソフトボール大のものが2個肛門近くに詰まっていたとのことだった。処置をしてもらった後は、すっきりしたようであるが、それまでに試した錠剤のミルマグや液体のスイマグといった緩下剤の影響で、便がしばらく漏れ出るようになり苦しんでいた。

5月2日:2回目の抗がん剤治療。声が出ておらず、顔色が悪い。以降、2週間に1回抗がん剤治療を受ける。この治療の後ごろから、足に力が入らないため杖をついて歩くようになった。

5月4日:母から、父が朝起きたときからふくらはぎが痛むという連絡を受け、実家に行って治療をした。痛みはがんによるものではなく筋力低下により膝関節に歪みが生じて起きたものと考えて治療した。左下腿に浮腫が出始めていたように思う。

5月10日:かかりつけ病院で2回目の摘便。

5月24日:3回目の摘便。この日は父に付き添えるのは私しかおらず、タクシーでともに行き、処置をしてもらった。

5月26日:父の治療に中脘と関元の透熱灸5壮を加えた。施灸すると腹部の冷えがとれ温まる。最後の治療まで続けた。
本治法は、抗がん剤治療を受けた後から摘便してもらうまでは、腎病で瀉法をすることが多く、摘便してもらった後は、肺虚肝実証で治療することが多かった。

5月30日:4回目の抗がん剤治療。この治療から薬の量を減らしてもらったからか、便が出にくい状態は続いたが、摘便をしてもらうことはなかった。
 治療はこの頃から、実証で治療することはなく、抗がん剤治療を受けた後すぐは、肺虚肝実証で治療し、しばらくすると腎虚証で治療するようになった。
6月の終わり頃から、杖1本では体を支えるのがつらくなり、両手で支える2本の杖を使うようになった。

7月11日:7回目の抗がん剤治療。最後の抗がん剤治療。医師からも体の衰弱が激しいため延期することを提案されるが、治療を受けないと不安であるからと受ける。

7月13日:父への最後の治療。抗がん剤治療を受けた後も腎虚証で治療した。脈は沈数。標治法は中カン、関元、中リョウに透熱灸5壮施灸した。
 治療中、父と会話し、抗がん剤治療でがんは治ってきていると信じているようだった。私を含め家族も、体の衰弱が激しいため次回7月25日の抗がん剤治療はやめるように伝え、父も了承した。

7月20日:父は食欲なく食事を摂らなかった。右腕がむくんでいた。先週治療したときは、まだむくんでいなかった。
浮腫は、抗がん剤治療を始めてしばらくすると、左下腿から始まり、左腰部、右下肢と範囲が広がってきていた。治療をすると少し改善するが、完全に引くことはなかった。むくみに対する治療として、中リョウ穴に透熱灸5壮を加えていた。

7月21日:父に意識障害が現れ、ろれつが回らず、全く歩けなくなり、かかりつけの病院に緊急入院した。黄疸も現れているように感じた。医師から、もう回復することはないから心臓が止まったときの処置をどうするかを尋ねられた。家族全員、苦しみを長引かせたくないため、延命処置をしないことに同意した。

7月24日:午前10時13分、父が永眠した。

結果
 父の体調が悪化しだしてから本人の希望もあり鍼灸治療を続けてきたが、治癒することなく不幸な転帰となった。抗がん剤治療による倦怠感・脱力感や便秘、痩せたことにより骨が当たるところの痛みなどの症状はあったが、がんによる疼痛はなく、食欲も便が出ないときに落ちていたぐらいで、それ以外の時は量も結構食べていた。亡くなる10日前まで頻繁に治療していたときは、浮腫などの症状の悪化も緩やかであった。死に顔も寝ているかのような穏やかな顔で苦痛なく逝けたことが察せられた。このことから、鍼灸治療はある程度の延命効果とQOL改善に寄与したと考える。

考察
 膵臓がんは発見されたとき、すでに末期であることが多いがんである。しかし父は以前急性膵炎になって以来、定期的に膵臓の検査は受けていたはずで、見つかったときにすでに肝臓にまで転移していたのは驚きだった。昨年秋頃、腰痛で治療したときは痩せてはいなかった。父によれば昨年末頃から体調不良を感じ始めたとのことだった。父は昨年11月に5回目のコロナワクチンを接種している。それからしばらくして体調が悪化してきた。これらのことを考えると、ネットでよく言われているターボ癌(コロナワクチン接種後、急速に進行する癌)だったのではないかと考えている。 来院する患者の中でも、5回目以降のコロナワクチン接種を受けてから体調不良を訴える人が多い。現在、コロナウイルスやワクチンに関して、ウイルスは人為的に作られた可能性があるやワクチン接種したほうが感染しやすく、重症化しやすくなるなどの情報が出てきている。騒動が起きてから3年以上経ち、未だ感染が収まらない状況を国はしっかりと調査し、これからも進めようとしているワクチン接種が本当に有効かどうかを検証する必要があると考える。


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